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#08


本来、定員三人のテントは、そんなに広くない。どっちかっていえば、狭い。

その狭いテントに四人がぎゅうづめにされたあげく、ど真ん中に荷物を使ってバリケードなんざ作り上げたりすれば、よけいスペースは圧迫されるわけで。
とにかく、狭い。なるべくバリケードに近寄るまいと思えば思うほど、狭い。

「はあ……」

もうこれ以上詰められません、ってギリギリまでバリケードから遠ざかって、俺はひとつため息をついた。そりゃもう、心の底から。

「……てか、なんでこいつ熟睡できてんの?」

まったくもって、そうとしか言いようがない。ちらりと目線を横に流せば、腹の上に両手を重ねて、鳴上はそれはもうすこやかな寝息を立てていた。

ありえない。なんというか、いろいろとありえない。
こいつの心臓、本気で毛が生えてるんじゃないだろうか。そうだったとしても、俺は絶対驚かない自信がある。
いや、そもそも、寝れなくなってる俺のほうがおかしいのかもしれないけど!

「……いやいや、落ち着け。落ち着いとけ、俺」

暴れたくなる気持ちを抑えて、おそるおそる即席バリケードの向こうの様子を窺う。
天然というか、鳴上に負けず劣らずマイペース度が突き抜けている天城は気にせず寝入ってる可能性が高いけど、里中はまだ眠れずにいるかもしれない。でも、さっき思わず口から出てしまったぼやきにはなんの反応もなかったから、熟睡はできてなくても一応うとうとはできてるのか。

なんというか、うとうとできているだけでもうらやましい。
思わずそんなことを考えてしまうくらいには、いろいろ参っていた。

「……頼むから、そのまま起きるなよ……」

その切実な願いは、里中だけに向けられたものじゃない。
熟睡してるっぽい天城にも、そして俺の横で行儀良く寝入っている鳴上にも、とにかくこのテントの中にいる、俺以外の全員に向けたものだった。

「はあ……」

そもそも、いくら自分たちのテントに戻れないからって、仮にも女子が男のテントに潜り込んでくるってのはどうなんだ。そのくせ、妙なことしたら承知しないぞってど真ん中にこんなバリケードまで作りやがった。しかも、どう見ても女子スペースのほうが広い。

めちゃくちゃ理不尽だ。大体この余裕で一人分くらいのスペースを占拠してるバリケードさえ撤去すれば、もうちょっと広くなるっつーのに!

おかげで、女子と一緒のテントで就寝、なんていうギャルゲーだのエロゲーだのでも遭遇できないようなレアなシチュエーションだっていうのに、まったく堪能できない。そこまで寝相が悪いはずじゃないけど、寝ぼけてついうっかりバリケードに足でも突っ込んじまった日には、無事家に帰り着けるかどうかすら保証されない気がした。しかも、そんな恐ろしい想像をしてしまったが最後、寝ぼけるのが怖くて寝付くことすらできやしない。
やっぱり、理不尽だ。好きでこんな状況に陥ってるわけじゃないのに。

「……やっぱ、信じらんねえ……」

それなのに、鳴上は涼しい顔で寝入っているわけで。
もしかして、バリケード側を選んじまった俺の運が最低だってことか。ちょっとばかし斜めになってて安定感悪いテントの隅のほう、すなわち鳴上が寝てるところのほうが、寝心地はともかく心情的には安眠できる場所だったってことか。まあ、そうかもしれない。

──それにしても、眠れない。
六月とはいえ、山の夜はそれなりに冷える。本来、俺と鳴上の二人に割り当てられていたテントに倍の人数がすし詰めになっていることもあって、人口密度的にそれなりに室温は上がっていた。でも、それと引き替えみたいな感じで、布団がわりの寝袋が足りてない。ただの敷き布団代わりになっている。

つまり、ちょっと肌寒い。
幸い、人間の体温ってのは三十六度くらいあるわけで、俺なんかもしかしたら三十七度近くあったりするわけで、鳴上とほとんどくっついている身体の右側だけが妙にほんわりとしていてあったかかった。そのちょうどいい温かさが、すっかりどこかへ行っていた眠気をやんわりと引き戻してきてくれる。

今日は体力使ったし、殺人兵器もびっくりな物体Xまで食わされたし、疲れてないはずがないんだ。一度眠気が訪れてきてくれさえすれば、このまま寝られそうな気がする。
ああ、やっぱり人肌っていいもんだなーと思いかけて、はたと我に返った。

「…………」

確かに、人肌はいいものだ。そこは否定しないけど、だからって自分と同い年の男の人肌に癒されるってのは一体どうなんだ。
実際、微妙にスースーする上にこれ以上行ったらどうなるかわからない左側と比べたら、右側の鳴上にくっついてたほうが百倍心安らぐわけだが、これでいいのか。男として。

「……まあ、いいか」

結局、そこに落ち着いた。男がなんだ。男の矜持より、今は心の平穏を取る。
あっさりそんな結論が出たことについては、あんまりあれこれ考えたくない。さすがに、あの完二にくっついて寝る勇気はないが、鳴上が相手ならそんなの気にするだけバカバカしい気がした。

いや、べつに完二が本当にソッチ系だって疑ってるわけじゃないし、さっきのだって一応念のために確かめておこうってレベルだったはずなのに、なんでか完二がひとりでテンション上げて暴走しちまっただけ……だ。たぶん。
この時間になっても帰ってこないということは、無事どこかの女子テントに潜り込めたんだろうか。それにしちゃ、騒ぎになってないが。

──それにしても、本気で左側がスースーすんな、これ。
鳴上のやつ、もしかして右側すごい寒いことになってるんじゃないのか? テントのシート一枚隔てた向こうは、まぎれもなく外だ。

「…………」

なんとなく気になって、音を立てないようにそろそろと上半身を起こしてみた。ランタンが消えているテントの中は暗くて、なにもかも輪郭がぼんやりしている。
遠いとわからないから、ちょっと至近距離から見下ろしてみた鳴上の寝顔は、やっぱり涼しげというか穏やかだ。暑さも寒さも気になりません、そんな表情に見える。
この窮屈な状況にも、じわっと襲ってくる肌寒さにも動じてないなら、まあいいのか。さすがというかなんというか、マイペースなだけある。そしてたぶん、バリケードの向こう側では天城が鳴上と似たような感じになっているんだろう。里中は知らん。

感心しながら、ほんの少しだけ鳴上との間にスペースを空けてみた。いや、本当は寒いからあんまり離れたくなかったんだけど、いざ起き上がってみたら密着っぷりが思っていた以上にすごかったからだ。
しかも見た感じ、どう考えても俺から鳴上のほうにどんどん寄っていったとしか思えない状態だった。それほどまでに、俺は里中が築き上げたバリケードを恐れていたらしい。

ほぼ隙間なくくっついていた部分に隙間を空けると、途端に快適だった体温が遠ざかって肌寒くなる。やっぱり、布団ってのは偉大らしい。掛け布団が恋しい。この際、タオルケットでもいいけど。
そんなことをつらつらと考えていたときだった。

「……ん……」
「え」

ぺたり、と。ひんやりしたものが、俺の手に触れた。
ひんやりとはいっても、氷みたいに冷たいとかいうわけじゃない。どっちかといえばあったかいんだけど、でも俺の手よりは温度が低いというか、つまり。

──さっきまで微動だにせず熟睡していた鳴上が寝返り打ったと思ったら、なぜか俺の腰の辺り抱きつくような格好になっていた。俺の左手に鳴上の手が触れている状態になっているのは、俺の腹の上を鳴上の右腕が横断しているからだ。

寝ている人間の身体は、自分で支えようという力が働いていないから、重い。たとえ右腕一本でも、けっこうずっしりくる。
ただ、その重さがあまり気にならないのが不思議だ。状況的にはどう考えても明らかにおかしいんだが、身体がさっきより密着した状態になって、温かさが増したからだろうか。
いや、それで納得するのもどうだ。自分自身にそうつっこんでから、里中や天城を起こさないように、鳴上の肩に手をやって揺らしてみる。

「ちょ、鳴上?」
「……さむい」

めちゃくちゃ小さい声だったけど、ちゃんと聞こえた。
そりゃ、寒くてもおかしくないだろう。俺だって肌寒いなって思ってたくらいだ。
でも、さすがにこれは。いや、あったかいけど。かなりの勢いでこのままでもいいかなって思うけど、これを里中と天城に見られたらちょっと問題アリな気がする。

「あのー……鳴上さーん……?」
「んー……」
「…………」

どうしよう。ますますしがみつかれた。
さっきまでのなんにも動じてません、ひとりでもなにも困ってません、とでも言いたげな態度(いや、寝てただけだけど)は一体なんなんだ。

「どーしろって……」

とりあえず、困った。
なにが困るって、俺の腰のあたりに顔をくっつけたまま寝ぼけてむにゃむにゃ言ってるこいつを、本気で引きはがそうと思えないところがいちばん困る。固まったまま身動きできないなんてことはないけど、本気でどうすればいいかわからない。

「……寝るか」

引きはがす気になれない以上、結局はそうするしかない、という結論に達した。
さすがに、腰に抱きついてきてる鳴上の腕を下敷きにしたまま寝ると両者共にしんどいことになりそうなので、左腕だけは無理矢理はがした。体温を求めて元の場所に戻ろうとぐずる鳴上の左手をつかんだまま、横になる。
鳴上は丸まった状態で俺の腰に抱きついているから、俺がそのまま横になっても頭がつっかえるとか足が伸ばせないとか、そういうことはなかった。逆に、丸まったままの鳴上のほうが後で苦しいことになりそうだ。

距離が縮まっているどころか抱きつかれているから、さっきよりもずっとあったかい。そのことに、感情の本能に近いところがほっとしているのがわかった。
まったく、本当に困ったもんだ。今、俺に抱きついてるのって、俺より背が高くてガタイのいい男だぞ。顔はムダにいいけど。

それでも拒絶反応ひとつ起きない自分自身に呆れながら鳴上の左手を離したら、その手はぽすんと俺の手の上に落ち着いた。そのまま、やんわりと握られる。
どういうことだ、これ。手、繋いだ状態になってるんですけど。

「……おい?」

声をかけてみても、返事らしい返事はない。返ってきたのは寝息だけだ。
どう見ても、さっきより言い訳できない状態になっている。抱きつかれたあげくに手を繋いでるとか、いくら仲が良くたって男同士がやる体勢じゃない。女の子同士だったら微笑ましいですむが、男同士でこれやってたら寒い。
なのに、やっぱり引きはがす気にも手を振りほどく気にもなれなくて、途方に暮れた。
引きはがす気になれないどころか、はがすのがもったいないとか思ってるようじゃ言い訳もできない。たしかに少し肌寒いとはいえ、雪山レベルでくっついておかないと死にそうな寒さじゃないのに。

「……も、いっか」

なんかもう、いろいろ考えるのがバカバカしくなってきた。鳴上に腰に抱きつかれ、手を握られたまま目を閉じる。もう、開き直って寝てやる。
里中と天城が起き出す前に起きて、この状態をなんとかすりゃいいんだ。大体、寝て起きてみたら全然違う体勢になってる可能性も高い。鳴上は寝相よさそうだけど、俺はさすがにここまでじっとしたまま寝てないと思う。

目を閉じると、さっきよりもくっついてるぶんあったかいのが、もっとよくわかった。特に腰から腹のあたりがあったまってて、我に返ったせいでまたしても遠ざかっていた眠気があっという間に戻ってくる。
そのまま、俺は睡魔に負けることにした。

俺か鳴上か、どっちかが起きれば、この抱き枕状態も終わるだろう。
そう、軽く考えながら。



「…………」
「おはよう、花村」
「お、はよ……?」

起きたら、目の前に鳴上の顔があった。
しかも、額と額がくっつくんじゃないかって至近距離だ。どうしてこうなった。

こいつのやけに整ってる顔がドアップに耐えうることは知ってるけど、さすがに予告なしでこの状態はびびる。
というか、昨夜はこいつ、俺の腰だか脇腹あたりに顔くっつけて寝てなかったか?
なんでその顔が今、俺の目の前にあるんだ。

「花村は体温高いんだな」
「……あー……平熱、高いほうだな……うん」
「よく寝られたのは、だからか」
「……へ?」
「あったかかった」
「……そりゃ、よかった」

寝起きのせいか、日頃はあんまり動かない(けど目で語る)鳴上の表情がいつもよりやわらかい気がして、ついでにその表情が満足だって主張してる気がして、一瞬脳裏に浮かんだツッコミその他は全部どこかに消えてなくなった。

ちなみに冷静になってみれば、鳴上の右腕はやっぱり俺に抱きつくように背中へと回っていて、左手は俺の右手と繋がったままだ。さらに、仰向けで寝ていたはずの俺もいつの間にか鳴上のほうへ寝返りを打っていたみたいで、横向きになっていた。それだけじゃなくて、俺の左腕までもが鳴上の身体に回っていて、つまるところ互いに互いを抱きしめるような体勢になっていた……ようにしか見えない。
ついでに、現在進行形でその体勢のままだ。明け方、そんなに冷えたのか?
とりあえず、鳴上の顔が至近距離で見える理由はわかった。納得した。

……いや、納得してる場合か?

「……里中と天城は?」
「目が覚めたらもういなかった。テントに帰ったんじゃないか?」
「あ、そ……」

つまり、あのふたりにはこの体勢を見られたってことか。さすがに、気づかないわけがないと思う。
せめて、あいつらがテントから出て行ったあとにこの体勢になったと思いたいけど、だからといってそこをわざわざ確認しようとも思わなかった。
というか、そんなの確認したらよけい地雷だろ、どう考えても。

「……ま、いっか」
「なにがだ?」
「いや、なんでもねえよ」

ゆっくりと鳴上の身体から腕を外して、起き上がる。日が出てしまえば、もう六月だ。天気さえよければ、それなりに気温は上がる。だから、もう肌寒くはない。

「朝メシにしよーぜ。あいつらに食材ダメにされる前に」
「……だな」

鳴上が真顔でうなずいて、起き上がる。
──もう寒くはないはずなのに、離れていく腕の温かさが惜しいと思ったのは、どうしてだろう。