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#18


中間テスト二日目なんて言うなれば地獄の真っ直中、でも明日は日曜なんでかろうじて首が繋がったかもしれないっていう日、ふと気づいたことがある。
べつにそれは少しも悪いことじゃなくて、どっちかといえば歓迎すべきことではあるんだけど、気になって仕方がない。なので、今日の試験科目を全部クリアしてから、思い切って聞いてみることにした。

テストの出来? それは聞くな。勉強教えてもらったから、一学期よりはマシだ。

「なあ、悠」
「ん?」

席に座ったまま、目の前で気持ちよさそうに腕を伸ばしている背中をつんつんとつつく。くるりとこっちを振り返った悠の顔は、欠伸混じりでややぼんやりしていた。
でも、やっぱり見間違いじゃない。口元も目元も、通常状態と比べればあきらかにわかりやすくゆるんでいる。

悠の表情筋は、基本サボリがちだ。俺たち仲間の前とか、あと菜々子ちゃんの前とかではよく笑っているものの、日頃は大体クールと誤解される無表情なことが多い。
その悠が、特になにもないどころかテスト中なんてうんざり期間なのに、こうやって目に見えてわかるほど表情をゆるませているなんて、相当めずらしい。

気になっても、しょうがないと思う。

「なんか、機嫌よくね?」

背中をつつくだけではなんとなく物足りなくて、そのまま学ランの襟のあたりをちょいっと引っ張ってみた。いざ実行に移してみると、なんだか子どもがだだこねてるみたいになるから不思議だ。
でも、悠はそんなことまったく気にした素振りも見せず、俺に向かって嬉しそうな笑みを向けてくれる。

いや、その満面の笑みはとっても眼福ではあるんだが、まったく覚悟してなかったせいもあってかなりダメージが高いので、ちょっと抑えてほしいような気もした。ほんのりと。
とはいえ、実際に向けてもらえなくなったらきっとどん底まで落ち込む自信があるので、このままでいいのかもしれない。目の毒だけど。

「わかるか?」
「すっげーよくわかる」

悠はごまかすつもりもなかったみたいで、にこにこと惜しむことなく笑みを振りまきながら首を傾げた。これはもう、頷くしかない。
誰が見たって、ご機嫌だ。

「昨日、いいことあったんだ」

机の横にかけてあった鞄を手に取って、悠が立ち上がる。それにつられるようにして、俺も中身がほとんど入っていない鞄をつかんだ。

「へー? いいこと?」

テスト期間中は、午前中で学校も終わる。午後を、主に一夜漬けの試験勉強にあてろってことなんだろう。なんというか、ありがたい配慮だ。なかったらきっと、俺の成績はもっと悲惨なことになっている。
で、午前中で終わるから、昼休みもない。とはいえ、こんな真っ昼間に帰ってもうちには誰もいないし昼飯が用意されてるわけもないので、テスト中は食って帰ることにしていた。それに、悠もほぼ毎回付き合ってくれている。

ただ、今日は土曜なので、唯一その例外の日だ。土曜は小学校がそもそも休みなので、悠は大体早く帰る。家に、菜々子ちゃんがいることが多いからだ。
だから、今日は途中まで一緒に帰るだけだ。悠がいないなら外で食って行くのもなんかたるいし面倒だし、ジュネスで弁当かパンでも買って帰るかなって気分になっている。

俺が椅子から立ち上がるのを、悠はちゃんと待っていてくれた。身長差は五センチあるかないかだから、並べば目の高さはほぼ同じになる。
続きを促すように、至近距離からその砂色の目をのぞき込めば、悠が目を細めてくすぐったそうに笑った。今日は笑顔の大盤振る舞いだ。よほど、嬉しいことがあったんだろうか。

「菜々子と叔父さんと、本当の家族になれたんだ」

──たしかに、それは悠がこっそり浮かれても仕方がないかもしれない。
外から見た感じ、悠と菜々子ちゃんはどう見ても本当の兄妹のようだった。菜々子ちゃんが悠に懐いているのは一目瞭然だし、悠も菜々子ちゃんを相手にすると見事なまでにいいお兄ちゃんになっている。
つまり、このふたりはもう、最初から本当の家族みたいなものだったわけで。

おそらく、悠をこれだけわかりやすく喜ばせているいちばんの理由は、堂島さんとの関係なんじゃないかって思う。ほんの数日前に、亡くなった菜々子ちゃんのお母さんの話について聞いたばっかりだ。
それ以外にもほんの少しだけ、悠が教えてくれたことがある。堂島さんはひき逃げ事件の犯人を追うことに必死になるあまり、菜々子ちゃんから逃げていること。

たぶん堂島さんは誰よりも菜々子ちゃんのことを大切に思っているだろうに、その気持ちがきちんと伝わらないんじゃ、あまりにも報われない。堂島さんも、菜々子ちゃんも。
聞いた限りだとかなり根が深そうな感じだったのに、あれが解消されたのだとしたらある意味奇跡だ。なにも言わないけど、きっと悠がいろいろがんばったんだと思う。

他人のためなら、自分自身に降りかかるかもしれないリスクなんか完全に無視して動くようなヤツだから。

「それ、すっげえめでたいじゃん……!?」
「だろ?」

だから、素直に喜んだ。俺がぱっと表情を輝かせたのを見て、悠はますます嬉しそうな顔をする。こんなに嬉しそうな顔、もしかしたら初めて見たかもしれないってくらいに、今日の悠はなにかのネジが吹っ飛んでいた。いや、ネジがふっとんでたって単に表情筋がゆるんでるだけで、暴走してるわけでもないからかわいいもんだけど。

「そんなら、祝わなきゃな」
「それは昨日やったんだ。家族の記念日、だって。叔父さんがわざわざホールのケーキ買ってきてくれた」
「なにそれ、超出血大サービス。あの、なんつーか不器用な親父さんを地でいってるみたいな堂島さんが、ホールのケーキ? 見たかったわ、それ」
「菜々子、大はしゃぎだったぞ」
「そりゃそーだろ。菜々子ちゃんなら、堂島さんが土産買って帰ってきてくれたってだけでそりゃもう大喜びだろ」
「よくわかってるな。さすが、陽介」
「や、誰でもわかるって……」

そんなことを話しながら、肩を並べて教室を出る。もうさっさと帰った連中も多いテスト中の学校内は、記憶にある慣れ親しんだ雰囲気よりほんの少しだけ、静かだった。

「でも、よかったな。悠がそこまで喜ぶってことは……ずっと、そうなりたいって思ってたんだろ?」
「……うん。家族だって叔父さんにも認めてもらえて、嬉しかったんだ」

廊下に、ふたり分の足音が響く。いつもよりちょっと小声での会話は、その足音に紛れていただろう。俺と悠以外に、聞いているヤツはいない。
悠にとって、堂島家のあのふたりは特別だ。悠にとって大切な家族とのことをこうやって嬉しそうに教えてもらえるのは、たぶん俺の特権だと思う。

ただ──どうしてだろう。
悠の願いが叶ったことは喜ばしいし、実際ほんとによかったって心から思っているのに、なぜかうらやましいという気持ちも顔を覗かせていた。

俺はべつに、悠の家族として認められたいわけじゃない。親友で相棒で、血の繋がりみたいな確固としたものはないけど同じ世代では誰よりも近しくて、家族にだって言えないようなことでも言い合える、そんな関係でいられることがなによりも嬉しかったはずだ。
ただの家族では、そんな仲になれない。だから、家族になりたいわけじゃない。

──わかってはいる。誰よりも近しい親友兼相棒というだけではもう、俺自身がもう満足できなくなっているからなんだってことは。
親友兼相棒という立場で発揮しても許される独占欲ってのはどの程度なんだろうって、最近の俺はよく考え込むハメに陥っている。なんとも言い難く、不毛な悩みだ。

「あ、陽介」

心の中でため息をつきながら下駄箱を開けたら、頭のすぐ上から悠の声が降ってくる。

「んー? なに、ラブレターでも下駄箱に入ってたか?」
「なに言ってるんだ? そんなもの、あるわけないだろ」
「…………」

これだから、天然は。自分を知らないにも程がある。
本人がコレだからまったく自覚はないようだけど、人見知り全開だった転校してきた当初はともかく、今やこいつは八高イチの有名人だ。モデル顔負けの顔や落ち着いていて耳に優しい声、妙に目を惹かれる立ち居振る舞い、一見取っつきにくそうな外見と裏腹の天然な言動等々、悠を知れば知るほど話題には事欠かない。

つまり、悠とこっそりお近づきになりたいと思っている女子はけっこう多いわけだ。
ただ、肝心の悠がこんな感じなので、誰ひとりとして進展できてはいない。大体、あのりせちーがあれだけあからさまにアタックしてるってのに、まったくその意味や意図を理解していないくらいだ。

……ただ、悠が天然で女子とのフラグを総スルーしていることに、どこか安堵している俺もいる。
少なくとも彼女ができるまでは、俺のことを優先してもらえる。家族である菜々子ちゃんや堂島さんには勝てないまでも、その次くらいには、きっと。
──女々しい自覚は十分あるから、ちょっとだけ放っておいてほしい。

「陽介?」

そんなことをぐるぐる考えていたら、不思議そうな表情で顔をのぞき込まれた。アーモンド型の目がまん丸くなっている。
べつに悠を驚かせたいわけでも、不思議がらせたいわけでもない。
ここは、努めて普通にするべきだ。そう自分に言い聞かせ、顔を上げる。

「……や、なんでもねえよ。で、ラブレターじゃなかったら、どうしたんだ?」
「これから昼飯、食いにくるか? 大したもの作れないけど」

そしたら──待っていたのは、予想外の展開だった。
え、なに? もしかして、なんかのごほうび? それとも、悠から幸せのお裾分け?

「いっ、行く! 超行く! 絶対行く!」

もちろん、一瞬たりとも悩むことなく、脊髄反射で即答する。

「落ち着け、陽介」
「これが落ち着いてられるか……っ!」

悠には、面白そうに笑われた。
やっぱり、今日はずいぶん表情筋にやる気があるようで、なによりだ。