斜め45度でクロスする

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「ねえ……ちょっと。花村、あんたどうしたの?」

頭の上から降ってきた里中の声にはあろうことか心配の色が混じっていて、そのことに気づいてしまった俺はよけいに落ち込むハメになった。あの里中に心配されるって、俺相当なんじゃね? という意味でだ。

里中は、俺にはよくも悪くも容赦がない。心配なんかも、基本してこない。テレビの中でドジ踏んで大ケガしたときとかはさすがに心配された気もするけど、そんくらいだ。
ちなみに、そういうときに傷を治してくれるのは、大体リーダーでもある俺の相棒だった。

あ、やばい。思い出しちまった。またへこむ。

「おーい、花村ぁ……?」
「返事、ないね」

困惑がにじんだ里中の声に応えたのは、たぶん天城だろう。不思議そうに、机に突っ伏してる俺の頭を見下ろしてるんだと思う。

「どうしよう。こいつ、マジでどうかしちゃったんじゃ……」
「バイトが忙しくて疲れてる、とかでもないよね。クマさんがまたなにかやったのかな?」
「クマぁ? そりゃ、クマならなにやらかしてもおかしくないけどさ。でも、なんか違う気がするってゆーか」

頭の上で好き勝手なことを言い合っているふたりは放っておいて、俺はふたたび内なる世界にこもることにした。今は反応する元気も、ツッコミを入れる気力も尽きている。

ここ数日、どうしようもなくテンションが低い自覚はあった。正直、ローテンションを通り越して、地面を張ってると思う。墜落してないのが不思議だ。

そうなってる理由は明確で、だからこそどうしようもない。世の中、がんばればなんとかなることもあれば、がんばったところでどうしようもないことだってあるんだ。ほっといてくれ。

ずっとこのままでいる気はないけど、さすがにそう簡単には立ち直れないし、浮上だってできねえんだよ。

「はー……」
「どうした?」
「……っ!?」

突っ伏したままため息をついたら、予想してなかった別の声が耳に飛び込んできて、俺は息を呑んだ。そのまま、衝動的に飛び起きなかったのが奇跡だ。

でも、いっそ驚きついでに飛び起きたほうがよかったのかもしれない。なまじ堪えちまったもんだから、逆に身動きできなくなった気がする。

「あ、リーダー」
「ちょうどよかった。花村くん、変だよね。どうしちゃったんだと思う?」
「…………」

じっと見られているのがわかって、背中にだらだらと冷や汗が流れていく。なにしろ、こいつの眼力はすごい。視線が物理的な力すら持っているような気がする。

黙って立っていたら子どもが泣きながら逃げていくような雰囲気をまとっているのに、こいつは口を開けばかなり気さくで穏やかノリもよくて、じつは子ども受けがいい。真面目で優しくてお人好しだから、年寄りにも人気がある。ついでに顔もよければ声もよくて、さらに頭もいいし運動神経も抜群なので、同年代からの人気は文句なしだ。しかも、家事までこなす。こいつの弁当はマジで美味い。

そんなヤツだから、あっちこっちでフラグを立てまくっていても当然だ。それはわかってる。
それは、いいんだが。

「陽介」
「……っ」

静かに名前を呼ばれて、ぎくりと全身が震えた。
声を聞く限り、怒っているわけじゃないと思う。というか、なんでそこで怒られるってほうに思考がいくんだ、俺。
どん底まで落ち込んでる自覚はあるけど、こいつに怒られるようなことはやってない……よな?

「な……なに?」

とりあえず、どんだけ落ち込んでても、できればひとりで殻に閉じこもってたくても、こいつに呼ばれて返事しないとか無視するとか、そもそも顔を見ないとかいう選択肢は俺の中に存在しなかった。
そろそろと顔を上げると、視界に相棒の顔が入る。どうやら上半身をかがめてのぞきこんでたらしくて、至近距離だ。どアップだ。
つーか、この至近距離に耐えうる美形って、一体どういうことだ。しかも男だぞ、こいつ。

そして、そんないろいろと規格外なヤツは、行動もけっこう突拍子もなかった。

「行くぞ」
「えっ!?」

おもむろに二の腕をつかまれて、引っ張り上げられる。テレビの中でずっと両手剣なんて重いモノを振り回してたこいつの腕力は、けっこうとんでもない。
そのままずるずると、気づけば教室の出入り口の方へと引きずられていた。しかも片手で。

今はもう放課後で、教室に残ってるヤツらはあんまり多くない。多くないとはいえ人はいるんだが、誰もこのおかしな状況にツッコミを入れようとはしなかった。それどころか、ああ、あいつらまたやってる%Iな視線を向けられている気がする。
え、ちょっと待って、どういうこと?

「ちょ、まっ!? お前、なに? なんなの!?」
「いいから黙ってついてこい」
「は……ハイ……」

引きずられながら一応勇気を振り絞ってみたものの、結果的にあっさりと黙らされた。無駄に堂々としていて、なにひとつ反論できない。
いや、でも、なんで俺はこんな目に遭ってるんだ?
教えて、偉い人。

「リーダー、花村のことよろしくー!」
「また明日、学校でね」

ひらひらと笑顔で手を振って見送ってくれちゃってる里中と天城は、もちろんなんの助けにもならなかった。



「よし、白状しろ」
「いやいやいやいや、だからなに!?」

相棒に有無を言わさず連れていかれた先は、寒風吹きすさぶ屋上だった。

天気は、めちゃくちゃいい。ちょっと視線を空に向けてみれば、雲ひとつない真っ青な空が広がっている。真冬の太陽は勢いが弱まってる分あったかくて、風さえ止んでればこの屋上もなかなかいい昼寝スポットだ。
問題は高さがあるせいで、なかなか風が止まないということか。

いや、たぶん、本当の意味で問題なのはそこじゃない。

「陽介。俺はお前をそんな察しの悪い子に育てた覚えはない」
「そもそも育てられた覚えがないんですけど!?」
「バレたか」

屋上のいつもの場所に俺を強引に座らせたと思ったら、その前に仁王立ちになって意味不明なことを言い出した、こいつの存在そのものだ。

それじゃなくてもこいつのほうが俺より身長あるのに、こっちは座ってるから思いっきり見下ろされている。顔を見ようと思ったらかなり上向かないといけなくて、顔を見るだけで心臓がキリキリするのに首まで痛くなってきた。
それなら顔見なきゃいいじゃんっていうのはナシだ。さっきも言ったが、そんな選択肢は最初からない。

「や、お前が唐突なのもけっこう脊髄反射なのも、過程みっつくらいすっとばしてまず最初に結論突きつけるのもよく知ってるけどさ」
「陽介はほんとに、俺のことよくわかってるな」
「お前の思考回路が凡人には理解しにくいってことは身をもって知ってるよ! だから、あれこれすっ飛ばさないで説明してくんない!? なんで俺、こんなところに連れてこられて尋問されてんの!?」

とりあえず、首を精一杯上向けて自己主張してみたら、感心したように頷いていた相棒の顔からきれいさっぱり表情が消えた。

「…………」
「あ、あの?」

こいつの顔は、そりゃあもうみごとなまでに整っている。
その整った顔から表情が抜けると、びっくりするほど冷たい印象になった。今まで、そんなに見たことはない。でも、今それが目の前にある。
一瞬震えかけて、なんとか思い止まった。
表情が消えるほど、真剣なんだってことがわかったから。

「なにがあったんだ」
「へ……」

そして、続いた言葉は──どう考えても、俺を心配するものだった。

「千枝も雪子も言ってただろ。あきらかに、お前の様子がおかしいって」
「う」
「そんなの、見てればわかる。ついでに、お前がなかなか悩みを自分以外の人間にさらせないことも知ってる」
「…………」

ああ、そうだろう。こいつは、それを誰よりもよく知っている。

「でもな、陽介。俺にまで黙ってるなんて、許さない」

にらむような勢いで見つめられて、もしかしてこいつは本気で怒っているのかもしれないって思った。

隠しておきたかったところを最初のうちに見られてしまったこいつに、俺は無意識のうちに甘えていたようで、そりゃあもういろいろ世話をかけた。こいつのおかげで俺はいろんなことに気づけたし、河原で殴り合いとかそんな青春っぽいことまでやった。

おかげで、こいつにはどんな情けないことでも相談できるし、逆にどんなことでも頼ってもらいたい。
そう、思ってる。それは嘘じゃない。

嘘じゃ、ないんだが。

「俺は、お前の親友で相棒だ。違ったのか?」
「違わない、けど」
「一体、どうしたんだ。なにがあった。今すぐ話せ。3秒以内に話せ」
「え、ちょ、待って」
「白状しなかったら、テレビの中で八艘飛び」
「それ死ぬ! 死ぬから!! 勘弁して!」
「なら、今すぐ言え」

相棒の目は、半分くらい据わっている。その迫力は、正直ハンパない。

こいつは、俺のことをわかってくれている。相棒とか親友とか思っていたのは俺だけじゃないんだって、そのことがひしひしと伝わってきてすごく嬉しかった。

でも、だからってこれはない。つーか、白状できない。脅迫されても、こいつにだけは絶対言えない。

お前にフラれたからどん底まで落ち込んでますとか、本人目の前にして言えるかってんだ……!