振り返れば奴がいる

秋の空

 秋の空は、高くて青い。
 湿度が低いせいか、夏の空より青さが濃いような気もしてくる。もしかしたら、ふわふわと空を舞う雲が薄いせいかもしれない。
 風もちょうどいい感じに涼しくて、気持ちいい秋晴れの日だ。土曜だから学校も早々に終わったしバイトも休みだしで、言うことない。天国だ。
 とはいえ。
「まー、勉強しないとだけどな……」
 現実を思えば、ため息をつくしかないんだが。
 なにしろ、俺こと花村陽介は天下無敵の受験生。大学受験に成功してなにがなんでも稲羽を出るっていう動かしがたい目標がある以上、いくら勉強が嫌いでもやるしかない。今やらなきゃいつやるってのか。
 ちなみに、べつに稲羽が嫌いなワケじゃない。ここに来たばっかのときはまあどうしたって好きになれなかったけど、今はこの町が大好きだ。
 ただ、稲羽を好きにさせてくれたヤツのことが、俺はここ以上に大好きだったりする。なのに、そいつは今ここにいない。去年、たった一年の間しか、あいつは稲羽にいなかった。
 もともと一年だけっていう話だったんだからしょうがないし、都会に帰ってからもあいつはちょくちょくこっちに遊びに来てたりする。だから、さみしくなんかないんだけどさ。
 ……や、それは嘘だ。ホントは、今さら言うまでもなくすげえさみしい。そりゃもうどうしようもないほどさみしいし、クマどころか里中や天城にまで心配されるくらいにけっこうだだ漏れらしい。完二にはすっげえ顔で呆れられた。ほっとけ。
 まあ、とにかく相棒と否応なく距離が離れることになってさみしさが天元突破した俺は、ひとつ決心したわけだ。必死で勉強して大学受験を成功させて、なにがなんでもあいつの近くに行ってやるって。
 動機が不純だって? 不純で結構。親友で相棒で、さらに恋人の近くにいたいって気持ちが不純だって言うなら、それはそれで本望だ。近くにいないと不安だとか心配だとかそういうんじゃなくって、俺自身がとにかくあいつの側にいたいんだ。あの場所が、なによりも俺らしくいられるような気がするから。
 まあ、それを実現させるためには、かなり勉強をがんばらなきゃいけない。まあ成績は中くらいで、格別悪くもなければいいわけでもないってとこなので、受験勉強用の知識を詰め込めばきっとなんとかなるって信じている。これが平常時だったら勉強する気なんてカケラも起きやしないが、今回は理由が理由なので俺も本気だ。その本気が親にも伝わったのか、バイトの日数もだいぶ減らしてくれたしクマの食費も免除してくれた。万々歳だ。
「あー、そーいや連休か。ちょっとくらいなら電話してもヘーキかなー……」
 秋の青空を見上げながら、帰路をたどる。そういや明日の日曜、明後日の月曜と連休だった。十月は連休が多いからちょっとラッキーだ。
 受験勉強がなきゃあいつのとこに遊びに行けたかもしんない、なんてラチもあかないことを一瞬考える。まあ、俺が万が一受験生じゃなかったとしてもあいつは間違いなく受験生だろうし、結局遊びには行けないんだろう。今年の秋の連休は、去年みたいに堪能するわけにはいきそうもない。
「次は冬休みかー」
 でも、あと二カ月ちょいでまた、あいつはこっちに戻ってくる。冬休みの間だけは、一緒に過ごせる。
 冬休みが終わったらそれこそ受験本番で、それさえ乗り切れば春だ。俺が失敗さえしなきゃ、念願は叶う。いろんな意味で頭が良いあいつが受験失敗するとか、そんな可能性は最初から考えてない。
 つまり、俺さえがんばればいいわけだ。自分の望みを叶えるために。そのためにはこの連休で、今やってる参考書終わらせるくらいの意気込みが必要だ。やってやろうじゃねえか。
 ……でも、せっかくの連休なんだから、ちょっと長電話に付き合ってもらうくらい、いいよな?
「ん?」
 そんなこと考えてたら、制服のポケットの中で携帯が鳴った。
「相棒?」
 この着信音は、あいつから来るメール専用だ。音だけでわかるようにしたのは、どうしようもない男心ってやつだ。追求しないでほしい。
「めずらしいな」
 意外と無精な相棒は、自分からメールを送ってくることがあんまり多くない。大体は、先に俺があんまり意味ないメールを送ることになる。
 なのに、一度メールのやりとりが始まればそれがどんなにくだらないことでも律儀にいつまでも付き合ってくれるのが、俺の親友であり相棒であり、恋人でもあるヤツだった。ちょっと自慢したい。
 実際はいかんせん俺とあいつの性別が同じなこともあって、自慢するどころじゃないんだけどな。俺たちのことを打ち明けられる相手さえ、じつはあんまり多くない。言えば受け入れてくれそうなヤツばっかとはいえ、やっぱりそこは勇気ってモノが必要になってくるわけで。
 ……まあ、俺が止めなきゃあいつはフツーにぽろっと口滑らせてそうだけど。俺と恋人同士なんてものになってることに後悔もなければ後ろめたさもないってのがよくわかるから、じつはちょっと嬉しかったりするのは秘密だ。
 とにかく、今はそれはどうでもいい。
 じつにめずらしいあいつからスタートを切ったメールを見るために、俺はスリープ状態になっていた携帯の画面を表示させた。特に意識することなくメール機能を立ち上げ、受信していたメールを開く。
「な……っ!?」
 そうしたら──そこには、書かれていたのだ。
『題名:なし
本文:助けてくれ』
 そんな、不穏な内容が。


「…………おい」
「いやあ、まさか陽介本人が来るとは」
「そりゃ来るだろ。つか、ねえ、これなに!?」
 そして、数時間後。
 相棒からのメールを見た直後、財布の中身だけ確認して八十稲羽の駅へ猛ダッシュした俺は、そのメールの差出人の家に到着していた。住所から家探すの、すげえ大変だったのはこの際置いておく。
 こいつが俺に助けを求めるなんて、今まで一度あったかなかったか、だ。しかもあのときは、本人に助けて欲しいっていう自覚すらなかった。自分はなんともないし平気だって、素でそう思ってたらしい。心配かけたくないから我慢するとかじゃなくて、本気で大丈夫だって疑ってなかったってオチだからなんとも言い難い。こいつ、頭良いし空気も読むし計算高いし機転も利くのに、変なとこで天然だしバカなんだ。そこがいいんだけど。
 ……じゃなくて。とにかく、めちゃくちゃ深刻な状態に陥ってたときですらそんな有様だったこいつが明確に助けを求めてくるなんて、よっぽどのことだ。そう判断して、一目散に飛んできたわけだ、が。
 なんというか、俺の目の前には予想を斜め上に約一光年分くらい突き抜けた、そんなぽかーんとするしかないような光景が広がっている。
「なんでもいいから助けろ、陽介。俺はツッコミ担当じゃないんだ、辛すぎる」
「いやいやいや、そこ? そこなの!?」
 たしかに、よっぽどのことだった。片道六時間近くの距離を飛び越えて助けを求めたくなる気持ちは、俺にもわかる。
 気持ちは、わかる。わかるのだが。
『ああ、そういえば君もあのとき、黄泉比良坂に来ていたね』
 なぜこいつの部屋に、半分透き通ったイザナミがいるのか。しかも宙に浮いてるのか。
 さっぱり、意味がわからない。
 秋は怪談の季節じゃなかった気がするんだけど、もしかして最近変わったんだろうか?