雨と相棒
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「なあ、相棒。今日、放課後どうすんの?」
昼休み、さっきまで教壇に立ってあんまり面白くもない授業をしていた古文の教師が教室を出ていくとほぼ同時に、俺はすぐ前にある制服に包まれた背中へと少しだけ潜めた声で声をかけた。声をかけながら、肩を叩いたりもしてみた。
机の上に教科書やらノートやらを広げたまま、のんびりと目の前の男が振り返る。座っている椅子の背に左腕を乗せ、通路側に足を投げ出して、相棒は窓へと視線を投げた。
「んー……、雨か」
「雨だな」
少し色素の薄い目を細めて、何か考えてるのか首を傾げている。
ぼそりと呟かれた言葉通り、外は雨だ。午前中はかろうじて曇りだったのに、気がついたらぽつぽつと雨が降り出していた。
今、テレビの中には誰もいない。つい最近、攫われてテレビの中に入れられたちびっ子探偵──直斗は、もう俺たちの手で助け出した。まだ学校には出てきてないが、そのうち復活するだろう。
天気予報を信じるなら、今日の雨は続かない。まだ、マヨナカテレビの期限は来ない。
大体、もうマヨナカテレビに映るはずの奴は救出した。だから、無理にテレビの中へ入ることはない。
ただ、雨の日はめずらしいシャドウが出てくることがあって、めずらしい素材を出すことがある。なぜか俺の相棒はレアアイテム好きで、特に用がなくても雨の日はテレビの中へ行っていることも多かった。
それを思い出したから、今日はどうすんのかなって思ってみたわけだ。
今日は、バイトの予定もない。雨の日は運動部もないはずだし、もし放課後テレビの中へ行かないなら、ちょっと遊びたい気分だった。
特にやりたいことがあるわけでもないし、遊びに誘うようなネタがあるわけでもない。ただ、こんな雨の日は、少し気分が滅入るから。
少しでも気分良く過ごせる、こいつの傍にいたかっただけかもしれない。
もちろん、そんな俺自身もよくわかってないような心を、いくら仲がいいからって俺以外のヤツが理解してくれるはずがないわけだ。
ぽつぽつと音を立てて窓に当たる雨粒を眺めていた相棒が、くるりとこっちを向く。相変わらずその顔は妙に整っていて、すでに見慣れた至極真面目な表情を浮かべていた。
ただ、俺は知っている。
「雨の日は釣りだろ」
「はぁ?」
こいつは、真顔で突拍子もないことを言い出す癖があるってことを。
「あー、でもまだ秘密結社ラボのレアシャドウから素材ぶんどってないな。いや、でもそれはまだ平気か? どうせなら、クエスト受けてからのほうが効率的だしな。いつ降って湧くかわからないが、ないわけはないし」
「おーい、相棒?」
しかも、引き続きブツブツとよくわからないことを呟いていた。秘密結社ラボとか聞こえた気がするから、テレビの中に入るかどうかも悩んでいるってとこか?
「……ああ。でもこの調子だと、今日は夜中まで雨か」
「あ? じゃねえの?」
気がつけば、猫みたいな目がじっとこっちを見ている。
俺に天気予報の才能なんてものはありゃしないが、朝見た天気予報ではそんなことを言ってた。昼あたりから降り出した雨は、夜半まで続くだろうって。
それを思い出しながら肯定すると、そいつはおもむろにひとつ頷く。どうやら、今日の行動予定を決定したらしい。
「だとすると、今日は吹奏楽部だな」
「なんだ、そっか」
そういえば、文化部は雨の日関係なく活動日だった気もする。だとすると、そうなるのも当然だった。
なんだかんだ言って、こいつは真面目だ。晴れてる日は他のことを優先することが多いから、雨の日はなるべく文化部に参加するようにしているとか、前に言っていた。
というか、バスケ部と吹奏楽部を兼部して、臨時の保健委員もやって、あっちこっちでバイトをかけもちして、しかもテストの成績は学年一位で、その上なんでこいつはテレビの中で命のやりとりをするような戦いまでこなせているんだろう。
しかも、リーダーだ。リーダーの役目を押しつけたのは、他でもない俺だけど。でも、その判断はぶっちゃけ間違っていなかった。
他の誰も、こいつの代わりはできない。
相棒として、その事実を誇らしく思う。どんなに困難なことにぶち当たっても、こいつがいればなんとかなるって思える。
──なのに、それと同時に。同じくらいの強さで、胸に痛みが走る。
これは、一体なんだ? 男として、どうしても勝てない相手に嫉妬でもしてるのか。
……ただ、それも少し違う気がする。俺は、こいつみたいにはなれない。それは、嫌と言うほどわかっていた。出会ったばっかりの頃、身に染みたんだ。
でも、だからこそ俺はこいつの背中を守ろうと思った。
俺は、こいつにはなれない。そんなの当たり前だ。
違う存在だからこそ、こいつの見えない場所を見ることができるし、守れるはずだから。
そう、思いたいだけかもしれないけど。
「……ん? もしかしてテレビの中、行きたかったか?」
「や、そういうわけでも……いや、そうかも」
「え?」
結局、なんだかんだ言っても行き着くところはここなんだろう。
相棒として、少しくらい頼りにされたい。前に白状したこともあるけど、俺はこいつに認めてもらいたい。
んでもってそれ以上に、俺はこいつと一緒にいたいんだ。こいつの隣に立っていたい。
同じ時間を、空気を、共有したい。
ただ、それだけなんだろう。生まれて初めてできた親友で相棒に、俺もこりゃまたずいぶんと執着してるもんだ。
でも、それが嫌じゃない。いや、ま、俺が嫌なわけないか。
「陽介?」
そして、たぶんだけど。
こいつも、俺のことを受け入れてくれている。
俺ほど執着してるとは思わないけど、でもちゃんと懐に入れてくれている。それは、すごくよくわかった。
「なんでもねえ。それより飯食おうぜ、昼飯」
「ああ、そうだな」
だから、今日の放課後は一緒にいられなくてもいい。俺だって、我慢くらいできる。
つーか、いくら相棒で親友とはいえ、今いちばん一緒にいたい相手が野郎だっていうのは、一体どういうことなんだ、と。
そんな葛藤はもう何ヶ月も前に乗り越えたことだったから、今さらそんな考えが脳裏をよぎっても、俺はうろたえたりしない。というか、できない。
なので、どういうことなんだと問いつめてくる自分の理性に、心の中で堂々と言い返した。
そんなもん、好きなんだから仕方がないだろって。
「見ろ、陽介。今日は幻の焼きそばパン、買えたんだ」
授業と授業の合間の休み時間に売店に走っていた相棒は、いつも凛としている目元をほころばせて、うきうきとカバンの中から昼飯を引っ張り出している。今日は売店のパン各種、らしい。
つーか、焼きそばパンゲットできたのはマジですごい。あれは気を抜くと3分くらいで売り切れる。
「おおお、すげえじゃん。しばらく食ってないんだよなー、一口くれよ」
「いいぞ。かわりにお前の弁当、半分よこせ」
「半分!? え、ちょ、待って!?」
「冗談だ」
「いや、それ絶対マジだろ?」
そんなどうでもいいようなことを喋りながら、パンだの弁当だのを食い散らかしつつ。
俺にとっては、かなり貴重な時間を過ごした。