7days War
2nd DAY
「みゃー」
「お?」
崩壊しかけている大阪にも、やっぱり猫はいた。
鳴き声につられてあたりを探してみれば、不自然なバランスで積みあがったがれきの陰に小さな猫がうずくまっている。がれきの元は建物だったのか、それとももっと違うものだったのか、すでにわからない。
「やー、大地。なーんだ、無事にひとりでジョーから逃げ出せたんだ?」
「逃げ出すってなに!?」
「そのまんま」
そして、うずくまった子猫のすぐ横に、見慣れた顔も一緒に座り込んでいた。つい先刻まで通天閣で一緒にメラクを相手にしていた、大地の幼なじみだ。まさに、死線をくぐりぬけた直後だった。
……ただ、一見そう見えないくらいにはリラックスしているようだ。のんびり、子猫の頭を撫でている。
「野音でもジョーにさらわれてたしなあ。そのマフラー、もしかして外したほうがよくない?」
「意味わかんね」
「え、だから、そのまんま。それのせいですぐさらわれるのかなーって」
「そんなわけないっしょ!」
ついでに、ドゥベとの戦いに続いてあのような常識外れな事態を経験したというのに、相変わらずの調子だった。肩から力が抜ける。
本当に、この幼なじみは緊張らしい緊張を見せたことがない。模試のときだって、結果はそこそこと言いながらもどこかのんびりとしていた。なるようになる、を地で突き進んでいる。
それで実際になんとかなるところが、もしかしたら彼のすごいところなのかもしれない。十数年ずっと一緒に育ってきた今、改めてふとそんなことを思う。
(……って、あれ?)
そこでやっと、大地は自分がまだ緊張していたことに気づいた。
それもまた、今さらだ。メラクを倒してもう緊張からは解放されたと信じていたはずなのに、そういうわけではなかったようだ。
だが、考えてみればそれも当然なのかもしれない。なにしろ昨日から、ずっと異常事態が続いている。しかも、このままずっと何日も続く可能性すらある。
──否、可能性ではない。確実に、続くのだろう。
ジプス局長である峰津院大和になにを言われても、最初は現実味が薄すぎて実感がわかなかった。
それでも勢いに押され、まるで流されるようにやってきた大阪で、やっと大地は今目の前で起こっていることが夢でもなければデキの悪い芝居でもなく、まぎれもない現実であることを実感しはじめている。
助けを待っても無駄だ。政治家も警察も自衛隊も、助けてなどくれなかった。悪魔にも、ドゥベやメラクといった悪魔ではないもっと他のなにかにも、対抗する力を持たないからだ。
自分自身で、未来を切り開くしかない。それこそ、出所が不明な悪魔召喚アプリでもなんでも使って。
大地にもやっと、その決心ができたような気がする。そのきっかけをくれたのは、非常事態のただ中にあってもさほどいつもと変わらない調子を貫いている、この幼なじみなのだけれど。
ただ、調子はいつもと変わらないままでも、彼は誰よりもこの異常事態への順応が早かった。
召喚アプリを使って街にあふれる悪魔たちと応戦しようとしたのも、ジプスと協力して悪魔をはじめとする人ならぬざるものたちに対抗することに決めたのも、そうだ。大地は、おそらくは維緒も、最初のうちはなんとなくそれに追随していたにすぎない。
この状況の中にひとりで放り出されてしまうなんて、想像するのも怖かったから。
「みゃあ」
「あ」
そんなことを考えていたら、それまでずっとおとなしく撫でられていた子猫が小さく鳴いた。
自分を撫でていた手をぺろりとひと舐めしてから、子猫はすぐ側にあるがれきへと飛び乗る。そのまま、あっという間にどこかへ消えてしまった。
「行っちゃったな」
「うん」
あれだけ身軽に動けるのだから、ケガの心配などはなさそうだ。意外なところで遭遇した日常の象徴が遠ざかっていくのを眺めながら、ぼんやりとそんなことをう。
メラクがこの大阪に残した傷跡は、生々しい。建物が崩壊しただけではない。凍りついたまま、粉々に砕かれた人もいた。
その惨状がきれいに片づいたわけではない。依然、そのままだ。
それでも、生き残ったものたちもいる。自分たち然り、先ほどの子猫然り。
「あの子、ちゃんと家族に会えるといいね」
「んだな」
ぽつりと呟かれた独り言に、大地は同意を返す。
かなり小さな子猫だった。まだ、独り立ちはしていないはずだ。親猫にくっついて回っていてもおかしくない。
おそらくは、この二日間の騒ぎで親とはぐれてしまったのだろう。
様々な手段を持つ人間ですら、思うように連絡が取れない状態だ。人間にはない猫の野生の勘が働くよう、祈るしかない。
そして──ふと、気づいた。
「つか、なにやってたんだよ?」
こんな状況ゆえに、いつもよりはおそらく警戒心も強くなっているだろう子猫を、なぜあんな風にのんびりと撫でることができていたのか。
大地の幼なじみは、基本的に物怖じすることがない。犬だろうが猫だろうが気にすることなく構いたいときに構うタイプだが、今回の場合は相手がそこまで寛大な気分ではないはずだった。
「ん」
大地のほうを振り返った彼が、小さく首を傾げる。
ぱちぱちと何度か目を瞬かせて、大地が言いたいことを察したのだろう。子猫が消え去ったほうを指差して、おもむろに口を開く。
「ケガしてたんだよ」
「へ?」
「足をさ」
「……ほ?」
「だから治しただけ」
結果、返ってきた答えは少し意外なものだった。
「治したって……ど、どーやって?」
なんでもそつなくこなすとはいえ、さて医学の心得まであっただろうか。思わず、そんなことを考える。さすがにあるわけがない。
「スキルって便利だよな」
「えっ」
だが、その疑問はあっさりと解けた。
「ディアで」
……そういえば、そんなものもあったのだ。
大地には縁のないものだったから、完全に忘れていた。ねらい撃ちと怒りの一撃、あとはせいぜいエクスムーブが大地のお供だ。
「え、治せるんだ?」
「そりゃ、傷治せなかったら意味なくない? 回復スキルなんだし」
「あ、うん、そりゃそーだ」
使わない、もしくは使えないスキルのこともちゃんと勉強しておくべきだった。なんとなく、反省する。
だが、彼は大地のそんな反応にあまり頓着した様子は見せなかった。
「俺が近づいても逃げ出せないくらい、けっこうケガがひどかったんだよ。それで、つい」
──もっと、気になることがあったからかもしれない。顔に浮かぶ表情は、ほんの少し物憂げだ。
どうやら、あまりいいことをしたとは思っていないようだった。
「や、いいんじゃね? 見捨てるとかできないっしょ」
「うん、そうなんだけど」
「? どしたよ?」
「全員を助けられるわけじゃないからなあって思って。自己満足なのはわかってるけど」
「……あー」
それは、確かにそうだ。
今回はケガをしたのがたまたま小さな猫だったから、それこそディアでケガを治せた。精神力を消費してケガを癒すスキルなのだから、やはり限界はある。
避難所に行けば、ケガをした人なんておそらくはいくらでもいるだろう。崩れた建物の下に、未だ取り残されている人だっているかもしれない。
いくら少し変わった力を手に入れたからといって、そういった人たちを全員助けられるわけではなかった。
なのにそういった人たちをあえて探して助けたりするわけでもなく、たまたま見つけた小さな猫を自己満足で助けたことを、どこか後ろめたく思っているのだろう。
(でも、それって悪いことじゃないよな)
とりあえず、大地にはそれが誰かに責められることには思えなかった。
自分のことでいっぱいいっぱいではあるけれど、できることなら助けられる命は助けたい。
「それは、しょーがないだろ。俺たち、召喚アプリ持っててもやっぱりただの高校生だしさ……できることとできないこと、やっぱあるって」
「うん」
「暴走した携帯止めるとかはできるけどな。今んとこ、それだけでもけっこうヒーヒーじゃん。ドゥベとかメラクとか悪魔じゃないミョーなのとも戦うハメになるしさー」
あの異形の化け物たちを放置していたら、人は完全に全滅する。それくらいは、大地にもわかってきた。
ひとりでは、どうにもならない。悪魔使いたちが力を合わせて、倒すしかない。
──だとすれば、やはり今やっていることは間違っていないのだろう。なにを最優先にすべきか、も。
峰津院大和のことは好きになれそうもないし、できることならあまり近づきたくもないが、あの化け物たちを倒すことで平穏が取り戻せるなら、大地はできることはするつもりだった。
だから、その余力で気づいたときに猫を助けるくらい、たぶん誰も文句は言わないと思うのだ。
少なくとも、ディアのSPを消費するくらいは。
「ダイチ、がんばってたよ」
「お前もね。メラクのトドメ刺したの、お前じゃん」
「たまたまね。それにしても……」
「ん?」
「あれ、まだ続きそうだね」
「マジかよぉ……」
とはいえ、覚悟は決めていても改めて現実を突きつけられると、若干へこむもので。
うなだれつつへこたれていたら、ぽんと肩を叩かれた。ちらりと視線を上げれば、彼がにこりと笑う。
「大丈夫」
「へ?」
「ダイチは、俺が絶対に守ってあげるから」
「い」
そして、いきなりそんなことを言い出した。脈絡があるようでない。意味がさっぱりわからない。
「ま、まままま守るって!?」
「もちろん、他のみんなもね」
「わっ、わかってるっつの!」
なまじ一言付け加えられたせいで、よけい恥ずかしい気分に陥ったのが、なんとも不思議だ。
……でも、嬉しさを感じたのも、事実だった。