螺旋

「轍を追っていけば、そのうちたどりつくんじゃねぇ?」
 そう言って吸いさしの煙草で道を示したのは、アレックスという名を持つ昔なじみのブラックスミスだった。
 うららかな午後、読書に没頭していたセリアスを現実へと引き戻した男でもある。なにやら重い物を引きずるような音をたてて部屋へと入って来ると、アレックスは無言で引いていた商売用のカートを指差したのだ。
 いぶかしく思いながらも中を覗き込めば、そこにはなぜか丸まっている満身創痍のプリーストがいる。痛みを堪えるかのように眉を寄せたそのプリーストの顔を、セリアスは嫌というほど知っていた。
「……レアード?」
 声を掛けてみても、返事はない。
 それでも声は聞こえたのか、レアードが必死に起きあがろうとしている。それをやや乱暴に阻止してもう一度カートへと沈めると、セリアスはカートの持ち主へと視線を向けた。
 セリアスがまとっている雰囲気は、アサシンという生業のイメージからはやや外れている。それが、ほんの少しだけ鋭いものになった。
 かけていた眼鏡を外しながら、セリアスがなんでもないことのように口にすれば。
「これは一体、どういうことかな?」
「耳打ちで呼び出されただけだ。んなモン、オレが知るか」
 煙草に火をつけながら、アレックスは器用に肩をすくめて。
 なんでもないことのように、轍のことを付け加えた。


 カートの中で唸っているレアードに、死者をも蘇らせる回復力を持つイグドラシルの葉を飲ませて。
「ちょい待てい! こんなどーにもならん怪我人を置いてくのかっ、おまえはっ!?」
「それだけ騒げるなら十分だな。ついでになんでそんな目にあったのか、言ってみろ」
「え……ええーっとぉ、そのぉ、もののはずみ?」
「……そのまま一生寝てていい。聞いた僕が馬鹿だった」
「ぐぎょげ。……ひ、ひど……」
 次いで起きあがれるようになった途端に騒ぎ出したレアードを、もう一度やや乱暴におとなしくさせて。
 そうして今、セリアスはカートの轍を逆にたどっている。
 アレックスに教えられた轍は、街の西口から始まっていた。そのままずっと伸びて、道から外れた方へと続いている。その先に、レアードがあんな目にあった場所が存在するのだろう。
 レアードはいい加減としか表現しようのない少々難がある性格をしているが、あれでもプリーストだ。知恵や知識、祈りの力よりも己の腕力や素早さに重点をおいた修行を積んではいても、癒しの力は持っている。さらに魔法に頼らずとも最低限自分の身は自分で守ることができるレアードのことは、仲間たちもあまり心配しない。
 だから今日、相方であるレアードが一人で出かけてくると言ったときも、セリアスはなんの疑問も持たなかった。セリアスが読みかけの本を早く読んでしまいたがっていたのはレアードも知っていたし、それゆえの心遣いなのだと思っていたからだ。
 だが気がついてみればレアードは瀕死の状態で、しかも他の仲間に運ばれて帰ってきた。何の説明もしてもらえないまま耳打ちで呼びつけられた、とぼやいていたアレックスが嘘をついているとは思えない。
 さらにどちらかと言えば口が軽く、言わなくていいことまであっさり口を滑らせるレアードがそうまでして口を閉ざしているという事実も気になる。秘密の一つや二つは誰でも持っているものだとわかっていても、レアードらしからぬ行動ばかりでじっとしていられない。
 そこまで考えて、セリアスはふと苦い笑みをもらした。結局のところレアードのことが心配なだけなんだと、そんな事実に気がついたからだ。


 ようやくたどり着いた目的地には、何もなかった。
 人気のない森のはずれには冒険者どころか、獣やモンスターですら寄りつきそうもない。風だけがたまに思い出したように吹いて、緑の葉を少しだけ騒がせている。そんな穏やかといえば、このうえなく穏やかな場所だ。
「さて。レアードはこんなところで何をやらかしたんだか」
 小さく呟けば、それも森の木々に吸い込まれる。静寂に包まれた森は、どこか不思議な雰囲気を漂わせていた。
 育ちすぎた下草に阻まれて、もう轍はすぐに見つけることはできない。唯一の手がかりであり目印を見失うわけにはいかないと、セリアスは顔をしかめつつ下草を掻き分ける。
 しばらくそれをくり返していたセリアスの視界に、ふと気になるものがひっかかった。
 乾いた血の跡。そして森の奥へと続く、消えそうな獣道。
「……行ってみるしかないな」
 両腕に装備した愛用のジュルをそっと確かめると、セリアスは獣道へと足を踏み入れる。そのまましばらく歩くと、今度は大きな岩がある開けた草地へと出た。
 森の中にぽっかりと開いた草地は、陽の光を浴びて明るい。森の暗さに馴染んだ目が慣れるまでに少し時間がかかったが、それさえ乗り越えてしまえば特に何があるわけでもない場所だった。
 やや白みがかった大岩は磨けばそれなりの価値を生むものに化けそうではあったが、まさかこれが原因でレアードがあんな大怪我を負ったとは思えない。草地をよく見てみれば血の跡は確認できたが、岩そのものには傷もなければ血痕も残ってはいなかった。
 ハズレ、だろうか。表情には出さないまま、セリアスは心の中で舌打ちする。
 魔物や人間にやられたのだとすれば、いつまでも加害者がここに残っているとは限らない。現場に行けば少しは手がかりが残っているかと思ったが、この場からは何も得られそうになかった。
「もっと先、かな?」
 森の出口の方角を確認し、帰り道を見失わないように記憶へと刻んでから、奥へ向かって足を踏み出す。
 その時。
「この先は行かないほうがいいよ」
 聞いたことのない声が、セリアスのすぐ後ろから聞こえてきた。
 突然かけられた背後からの声に、セリアスは反射的に表情を引き締める。
 アサシンとは、暗殺者。闇に紛れ、気配を絶って行動することを得意とする者たちがそう呼ばれる。
 己の気配を殺す訓練を積んでいるアサシンは、気配を探るのも上手い。そのアサシンであるセリアスが、声をかけられるまで存在に気づかなかった。
 警戒心を抱くなというほうが、無理だ。
「この森、誰も関心を払わないようにしてあるはずなんだけどな。なんで入ってきちゃったの? ねえ、ちょっと、聞いてる?」
 声の主は、未だ背を向けたままのセリアスに向かって話しかけている。その内容は害意があるとは思えず、だが善意だけとも言い切れなかった。少なくとも善意のみであれば、気配を消す必要などどこにもない。
 いつでもジュルを構えられるように用心しながら、振り返る。そこに未だ気配を消したままの声の主の姿を認めて、セリアスは目を瞠った。
 気配を消していたわけでは、ない。
「あはは、驚かせちゃったかな? ごめんね、こればっかりは僕にはどうしようもなくて」
 白い大岩にもたれるようにして、ウィザードの装束に身を包んだ少年が無邪気にすら見える笑みを浮かべている。どこにいても違和感など感じない、それこそプロンテラの街でいつすれ違ってもおかしくないような人物だというのに。
 そのウィザードの身体を透かして、なぜか背後にあるはずの白い岩肌が見えていた。


「……つまり、きみはレアードの痕跡をたどって、ここにたどり着いちゃったというわけか」
 半透明の身体を持つ気配を持たないウィザードは、ユージンと名乗った。
 セリアスよりだいぶ背が低いユージンと立ったまま視線を合わせるのは、かなり困難だ。首が疲れるから座ろうという提案には、セリアスも異論はなかった。
「まったく、あのバカ。なにやってんだか、もう」
 ぶつぶつと呟くユージンは、その仕草のせいかどこか子供のようにも見える。だが続いた言葉に、セリアスはもう一度驚くはめになった。
「なんで僕の弟なのに、あんなにどうしようもないかな」
「お……弟、だって?」
 確かに兄弟だと言われれば、外見は似ていないこともない。だがセリアスから見れば、どう考えてもレアードのほうが年上に見えた。
 身長のせいもあるだろう。セリアスには及ばないものの、レアードはさほど背は低くない。だがユージンは、成長期途中でぴたりと止まってしまったかのような雰囲気を持っていた。
「そうだよ。僕が兄、レアードが弟」
「逆じゃないのか?」
「あんな頼りない兄さん、やだよ」
 そうきっぱりと言い切って。
「まあ、そう見えても仕方ないね。僕、もう十年くらいこのまま成長してないから」
 セリアスの心を読んだかのように、ユージンは悪戯っぽく笑った。


 昔、この森にはセージとプリーストの夫婦が住む館があったという。
 その夫婦には、子供が二人。幼少時から冒険者を目指した子供たちは、すでにウィザードとアコライトとしての資格を取得していた。
 家族4人での、少々風変わりではあっても平穏な生活は、ずっと続くかと思われた。だがセージキャッスルの書庫から発見された古い書物を解読中の夫婦が、解読したばかりの古代魔法のひとつを擬似的に再現してみたとき、事件は起こった。
 それは、相の違う世界を繋ぐゲートを生み出すというものだったという。解読が間違っていたのか手順が狂っていたのか、それとも本来そういう効果を持つものだったのか、それはもう今になってはわからない。おそらくワープポータルの元になっていると思われるその古代魔法は、再現されると同時に大きな空間の歪みを作り出し、周囲を崩壊させながら取り込んでいったという。
 好奇心に負けて儀式を行ってしまった夫婦は、開いてしまった空間の穴を塞ぐために命を捨てた。ウィザードだった兄は、なまじ持っていた強い魔力が仇となってそのまま相の違う世界の狭間へと取り込まれた。アコライトだった弟はかろうじて難を逃れたものの家族を一度に失い、自分を庇って世界の狭間へと閉じ込められた兄を救い出すために生きると決心することになった。
 今はもう、知る人もほとんどいない。舞台となった館も、その穴に飲み込まれて消えてしまった。
 それは十年ほど前、この森で起こったことだという。


「今日レアードが大怪我してたのは、相の境界を無理矢理破ろうとしたからだよ。まだ無理だって言ったのに、ムチャするよね」
 ユージンの本体が今存在している場所は、この世界とは相、そして世界を構築する理が違う。世界の狭間という独特な場所は、時間の流れというものが存在しないのだと、ユージンは言った。
 だから、彼は成長しない。閉じ込められたまま、たまに世界と世界が近づいたときに、こうやって幻影を元の世界へと送ることしかできない。
 アサシンであるセリアスは、魔法のことにさほど詳しくない。ユージンから聞いた話のすべてを理解することはできなかったが、それでも大体の事情は把握できた。
 そうすると、今度はまたひとつ疑問が生まれる。
「なんでそんなことを僕に話すんだ?」
 最初にユージンは、この森には誰も関心を払わないようにしてあると言っていた。そんな小細工をしてまで伏せていたことなのに、なぜセリアスに話してくれたのか。
 だがセリアスにとっては不思議なことでも、ユージンにとってはなんでもないことだったようだ。意外なことを聞かれたとでも言いたげに瞬きをすると、にこりと笑った。
「だって、レアードのこと心配して、こんなとこまで来てくれたんでしょ? 兄として、お礼みたいなものだよ。それに」
 続く言葉のほうが、重要なのだと。そうセリアスに言い聞かせるかのように言葉を切って、ユージンは続ける。
「歪みの穴は消えたけど、僕が幻影飛ばせるくらいだからまだ何が起こるかわからないんだよ、ここ。あんな話聞いたらそうそう近寄ろうとは思わないだろうし、ついでにレアードのムチャも止めてくれるかなって思って」
「そのご要望には応えられそうにないな。諦めてくれ」
「えー? 困った子だなぁ」
 ここに来るなという言葉も、レアードを止めてくれという願いも、セリアスに受け入れることはできない。おそらくセリアスがこれからやろうとすることは、そのどちらにも反することだ。
 どうやって目の前の駄々っ子をなだめようかと、ユージンはそんな思案顔をしている。釘をさされる前にセリアスがもう一度同じことを繰り返そうとしたら、何かに気づいたユージンが音もなく立ち上がった。
「ああ……ほら。お迎えが来たよ」
 くすくすと笑いながら、ユージンが遠くを指差す。その先には、おぼつかない足取りでそれでも走ろうとしているレアードの姿があった。
 つられたように立ち上がり、セリアスはそちらへと視線を移す。自分の表情が少しとはいえ驚いたものになったのを感じ取って、心の底で小さく舌打ちした。
 そんなセリアスの胸中に気がついたのだろう。半透明のウィザードは、今さら笑いを堪えようともしなかった。
「一日に二回もレアードにあれこれやかましく言われるのはごめんだからね。早く、行ったら?」
 ユージンの声色は、面白がっているようにしか聞こえない。だがセリアスには、その表情にかすかながら優しげなものがかすったように見えた。
 ユージンに問えば、気のせいだと一蹴されるだろう。だからセリアスは、あえて口にしないことにした。
 疑問にも思わず、そうなんだと勝手に信じてしまえば。そうすればきっとこのウィザードは、その信用を裏切ることができない。
「今度はレアードにばれないように覗きに来るさ」
「あははは。いつでもヒマだからね、待ってるよ」
 ひらひらと手を振って笑うユージンは、セリアスの言葉を信じているようには見えなかった。
 それがなんとなく悔しくて、セリアスは半透明の身体へと手を伸ばす。相が違う場所にいるユージンには、触れることができない。
 それを少しだけ惜しく思いながら、セリアスはユージンの額にそっと唇を寄せた。
 触れることはできないけれど。気持ちだけは、伝えたかったから。
「じゃあ、これが約束の印ってことで」
「……あのね、きみ」
 呆れた表情で見上げてくるユージンに向かって、セリアスは悪びれず笑ってみせる。少しばかり普通じゃない手段を使った自覚はあったが、口で言ってもわかってもらえそうもない以上仕方がない。
「べつに、冗談でもなんでもないさ」
 完全に信じてもらうことはきっと無理だけれど、それでも少しくらいは希望を持っていて欲しかったから。
「いつか、そこから連れ出してみせるから」
 気がつけば真顔になって、セリアスはそんなことを言っていた。
 早まったとは思わない。期待だけを持たせるつもりもない。口にした以上、セリアスはそれを現実にするつもりだった。
 ユージンがどう思ったかは、セリアスにはわからない。しばらくセリアスの目をじっと見上げていたユージンは、目をそらしたあとにため息をついただけだ。
 それと同時に、二人の周りに白い霧が立ちこめる。遠くに見えていたレアードの姿は、濃い霧にかき消された。
「あーあ、時間切れ」
 つまらなそうなユージンの声が聞こえる。目の前すらもよく見えない霧の濃さのせいだけではなく、その姿は薄れかけていた。
 咄嗟に腕を掴もうとしても、すり抜けてしまう。そんなセリアスの行動を呆れた表情で眺めていたユージンは、最後に少しだけ柔らかい笑みを見せた。
「あてにしないで待ってるよ」
 呟きだけが霧の中に残る。
 急に濃さを強めた霧が晴れたとき、そこにはもう声の主の姿はなくて。
「……セリアス!」
 思ったより早く近づいてきていた声に、セリアスは微笑を浮かべた。
 この先、たぶん忙しくなる。まずは、わざわざここまで出向いてきてくれた相方を問い詰めるところから始めるべきだろう。
 霧の名残は、もう跡形もない。来たときと同じように、たまに風が吹くだけだ。
 もう一度、セリアスは先刻までこの森に囚われたウィザードがいた場所を見つめる。夢でも幻でもないことは、己がいちばんよく知っていた。
「遅かったな、レアード」
「遅いって……あのねーっ、俺をぶん殴って沈めてったのはどこの誰ー!?」
「悪い。でも、聞きたいことができたからさ」
「う……やっぱり?」
 レアードからは歯切れの悪い返事しか返ってこないけれど、セリアスには一歩も譲るつもりはない。
 なにかを企んだような笑顔のまま踵を返して、セリアスは未だ本調子とは思えない相方の元へと歩き出した。


2004/4/14 (Wed)

ただの日常(日常……?)のヒトコマ。
こんなキャラは当然実在しません。
たぶんホモでもありません。女性向けな気はしますが。