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#23


腹が立ってなかったと言えば、嘘になる。
どうしようもなく憤っていたから、ためらうことなく言い放った。どうして悠が生田目を落とすのを思い留まったのか、あのときは本当にわからなかった。

今でも、理解しているとは言い難い。というか、きっと理解していない。なんで落とさなかったんだって今でもやっぱり思っているし、でもその一方で悠や天城、直斗の言う違和感が気になってもいた。

生田目の立件は難しい。そう聞かされたとき、「どうして」と本気で思った。小西先輩は殺されて、菜々子ちゃんもあんな目に遭ったというのに、なぜ法で裁けないのか、と。
でも、そのときは我慢できた。菜々子ちゃんは、まだ生きていたからだ。

だけど、菜々子ちゃんは死んでしまった。あんなに悠が菜々子ちゃんの回復を祈っていたのに、俺たちだって早く元気になって欲しいと願っていたのに、それは届かなかった。生田目はまだ生きているのに、どうして。
今考えれば、だからといって生田目をテレビの中に落とすのは話が違うというのも、なんとなくわからないでもない。あのとき悠が叫んだ通り、それじゃあの男と──そう、生田目と同じだ。

ただ、それでもいいと思ってしまった。それで二度とあんな事件が起こらなくなるなら、甘んじて受けると覚悟した。
だから、よけいに悠の決断を受け入れられなかったのかもしれない。あいつのせいで菜々子ちゃんは命を落としてしまったのに、なんでそんな冷静でいられるんだって本気で思ってしまった。
そんなはず、あるわけないのに。菜々子ちゃんがいなくなって誰よりも心に深い傷を負ったのは、間違いなく悠なのに。

俺がそれに気づいたのは、悠が「今日はもう休もう」と言い出したときだ。どこからどう見ても大丈夫じゃないのに、大丈夫だからと言い張っていた。

たしかにあのとき、暗い病院のロビーで行われていた会議は行き詰まっていて、このままではなんの解決策も見えそうになかった。一度、休憩が必要だろう。そうは思っても、どうしても悠のことが気になってしまった。
気づくのが遅いと言われれば、それまでだ。でも、俺はようやくそこで気づいた。悠が、必死で自分の感情を抑えようとしていること。そのせいで、冷静なように見えているだけだという事実に。
それに気づいてしまったら、今度は別のことが気になった。こいつは──悠は、ちゃんと泣けていないんじゃないかということだ。

ひとりで菜々子ちゃんの病室から出てきた悠の目に、涙の跡はなかった。それに、表情もなかった。日頃からあまりわかりやすく表情が動くほうではないが、それでもいつもだったらちゃんと目が感情を表していたのだ。なのに、思い返してみればそれすらなかった。
大丈夫だからとそう言い出したときにも、悠の目には感情が浮かんでいなかった。それなのに「ありがとう」と礼を言うその姿は、胸が苦しくなるほどに痛々しかった。

それを悟って、俺は挨拶を残していちばんにその場を立ち去った。俺が帰れば、他の連中も後ろ髪を引かれつつとはいえ、あの場を立ち去るだろう。そう、思ったからだ。
その予想は外れなかった。時間差はあったものの、ぱらぱらと仲間たちは散っていく。

残されたのは、悠だけだ。雪が舞い散る空を見上げ、その場に立ち尽くしていた。

そして──俺は今こうして、声を殺して泣く悠に肩を貸している。震えが止まらない肩を抱き寄せれば、ほんの少し漏れる嗚咽が大きくなった。

「あのとき……あのとき思い留まったのは、本当に正しかったのか……」

涙を流しながら、絞り出すように悠はそう呟いた。それは、まぎれもない本心だろう。

真実を探すために、悠は感情を抑え込んだ。一時の激情に流されなかった。悠を思い留まらせたのは一体なにか、それは俺にはわからないけど、たぶん今の俺にはできない芸当なんだろう。だからこそ、あのとき悠とぶつかった。
悠は強いけど、弱い。人間なのだから、当たり前だ。
そして、優しい。びっくりするほど天然なくせに、驚くほど他人の心を大切にする。だからこそ、人に心配をかけまいとする。

他の仲間たちには見せなかったのに、悠は俺に泣いているところを見せてくれた。きっと、親友だから。相棒だから。
なによりも、帰ったはずの俺がひとりだけ戻ってきたから。ひとりになって緩んでしまった自制を、今さら取り戻せなかったのだろう。

でも、そんなのはどうでもいい。悠が、俺にすがって泣いている。俺のことを、頼ってくれている。ついさっきまで、言い争っていたっていうのに。
たとえそれが悠にとって予想外の展開だったとしても、こうやって頼ることを悠自身が選んでくれた。その信頼に、全力で応えたいと思う。

──そして、なによりも受け入れがたいのは。
悠が弱みを見せてくれたことに優越感を抱いている、他でもない俺自身だった。




「ほら」
「……悪い」

レンジから出したばっかりでまだ熱いマグカップを差し出したら、受け取ろうと手を伸ばしてきた悠はバツが悪そうにぼそぼそと呟いた。

それでも、視線はまっすぐに俺を見据えたままだ。その砂色の瞳はずっと泣き続けていたせいで少し赤くなっていたけど、今はもう乾いている。そのことに、少し安堵した。
頼ってもらえて、弱みを見せてもらえたことに嬉しさを感じても、好きなヤツが泣いていること自体は少しも喜べない。泣き止んでくれたときには、間違いなくホッとした。

でも同じくらい、悠が泣けたことにもホッとしていた。

「気にすんなって。でもこれ、熱いから気をつけろよ」

いつもなら冷蔵庫からペットボトルごと適当な飲み物を引っぱり出すところを今日は砂糖を入れたホットミルクにしたのは、俺じゃなくて母親だ。なにも説明していないのに、俺が雪にまみれた悠を連れて帰ってきたことでなにかを察したのか、悠を部屋に押し込んでからタオルを取りに行ったら用意しておいてくれた。さすがとしか言いようがない。

「ありがとう」

律儀に礼を言ってマグカップに口をつける悠の横に座り込んで、マグカップと一緒に持ってきたバスタオルを肩にかけてやる。さっきまで黒い制服の上で存在を主張していた雪はすでにすっかり溶けていて、分厚い生地を濡らしているだけだった。びしょびしょになったわけじゃないから、部屋の中に干しておけば乾くだろう。

結局あの後、雪の中で声を殺して泣き続ける悠を放っておけなくて、そのまま家に連れて帰ってきてしまった。それも堂島家じゃなくて、俺の家だ。
悠の家には十一月に入ってから何日も泊まり込んでいたし、悠の火傷が治ってからもちょくちょく上がり込んではいたけど、悠を自分の家に連れてきたのはよく考えなくても久しぶりだった。クマが居候を始めてからは、悠を呼んでもクマのせいでやかましいしのんびりしてられないっていうのもあったかもしれない。

ただ、今日あえて俺の家を選んだ理由は、少し違う。悠を菜々子ちゃんとの思い出がいっぱい詰まった家に帰らせることを、俺が躊躇した。たとえ、俺が一緒にくっついていったとしても、だ。
しかも本人に確認しないで連れてきてしまったけど、悠は特に異論を差し挟まなかった。さっきまではガタイがいいくせに腕も足も縮めて小さくなっていた悠も、少しはリラックスできてきたのかベッドを背もたれにしつつあぐらに移行している。これも、ホットミルクの効果なのかもしれない。
本当は風呂にでも放り込んで、身体の芯から温めたほうがいいんだろう。でも、今はその余力もなさそうだ。さっさと着替えさせて、布団に押し込むのがいちばんかもしれない。

「えーっと……」

ごそごそとクローゼットを漁って、悠でも着られそうな着替えを探す。たしか、買ったはいいけどサイズが大きくて、タンスの肥やしになっていたジャージがあったはずだ。俺より背が高くて体格もよくて、さらに手も足も長い悠にはちょうどいいだろう。
……言ってて、微妙に切なくなってきた。

「お、みっけ。悠、それに着替えとけよ。制服干しとかないと乾かないし、シワになるぞ」
「わかった」

やっと見つけたジャージの上下を投げれば、悠はマグカップの中身をこぼさないようにしながら上手にそれを受け取っていた。感心するくらい器用だ。
俺も、これから風呂に入るだけの元気がない。すべては明日の朝起きてからに回すことにして、今日はもう寝てしまうことにした。

さっさと着替えて、とりあえず制服だけはハンガーにかけておく。忘れずに悠の制服も取り上げて、俺の制服の隣にかけておいた。この部屋にはエアコンが入っているから、朝までには乾くだろう。乾かなくても、明日は日曜だから特に問題はない。悠には、いざとなったら俺の服を貸せばいいだけだ。腕の長さと足の長さが足りるかどうかはともかく。
案の定、俺には大きすぎて存在すら忘れられかけていたジャージは、悠にぴったりのサイズだったようだ。ずるいと思う反面、さすが相棒とかも思ってしまって、頭の中がよくわからない感じになってくる。

「陽介、こんな色のジャージ持ってたのか」

当の悠はそんなことに気づいた素振りもなく、ほぼ新品同然な濃い灰色のジャージを見事に着こなしていた。
サイズもだけど、言われてみれば色もたしかに俺っぽくない。まさか、無意識にうちに悠が着られそうなヤツを選んでいたのかって一瞬自分で自分に焦ったけど、それを買ったのは軽く一年くらい前だ。まだ、俺は悠と出会ってもいなかった。
そもそも、なんで買ったのかもよく覚えていない。

「セール品かなんかで安かったんじゃね? それ、俺にはちょっと大きくて、たぶん試しに一回羽織ってみたくらいなんだよな」
「そうなのか?」
「そ、だからほぼ新品。もう、いっそ悠専用にしとくわ、それ」

買った理由もよくわかっていないが、せっかくあるのなら有効活用するべきだろう。だとすれば、それがいちばん妥当な気がした。

十一月はけっこう堂島家に入り浸っていたから、悠の部屋にはけっこう俺の私物がゴロゴロ転がっている。着替え用のジャージとかTシャツとか、それこそ二、三着くらい平気で置きっ放しだ。
最初の頃は俺が家事全般を引き受けていたこともあって自分で洗濯してたけど、悠の火傷が治ってきたあたりからは結局また家事の大半を任せる感じになっていたので、ちょっと悪いことをしている気分になってはいたのだ。最初から丸投げしているわけじゃないけどなにしろ手際のよさが違うから、同じ時間を費やした場合の成果に差があるのはできれば大目に見て欲しい。

まあ、そんな感じなので、どうせなら悠の着替えがうちにあってもいいなって、そんなことを思っただけだ。特に理解してもらいたいわけでもなく、ましてや同意してほしかったわけでもない、ちょっとした自己満足だった。なにかを期待してたわけじゃない。

「そうか」
「え?」

なのに、着慣れないジャージのあちこちを引っ張っていた悠の表情が、ほんの少し緩む。気のせいじゃなければ、喜んでいるように見えた。

──悠が笑うのを目にしたのは、なんだか久しぶりのような気がする。
実際はそんなことなくて、単に日が暮れてから今までが怒涛すぎただけだ。でも、それがどんな些細なことだったとしても、今の悠からいろんな強ばりを取ってくれるならそれだけでありがたいって思う。

……実際は、悠がなににそんな反応を示したのか、よくわかってないわけだが。

「よし、寝るか。のんびりしてると朝になっちまう」
「あ、うん」
「ほら、さっさと中入れよ」
「うわ?」

適当にベッドを整えてから、布団の中に悠を押し込む。ジャージに着替えてベッドの上に座り込んでいた悠は、これまたあっさりと撃沈した。
急なことだったからじつはシーツとか変えてないけど、まあそのへんは気にしないでおいてもらいたい。最近は悠の部屋で客用布団の世話になりっぱなしだったから、思ったよりはきれいなはずだ。クマが俺のベッドの中で、こっそりスナック菓子をむさぼり食ったりしてなければの話だが。

「……陽介は?」

ベッドの上に仰向けになった悠が、じっと俺を見上げてきている。
十一月のおかげで一緒に寝るのはだいぶ慣れてきて、今さらいろいろ困った反応は見せなくなった俺の身体だったけど、さすがにこの光景はなかなかクるものがあった。

まずった。もっと考えればよかった。自爆行為だ、これは。

「俺はまあ、床でもいいかなって」

焦ったり挙動不審になったりせずにそう言えたことを、いっそほめて欲しいと思う。
ただ、内容が悪かった。客用布団を二階に持ってくるのを忘れたので、この部屋に予備の布団はない。雪がちらつく十二月にそんなことを口走れば、悠からどんな反応が返ってくるかなんてそれこそ簡単に想像できたはずなのに、そこまで頭が働かなかった。

だから、俺はやっぱりガッカリなんだと思う。いつのまにかガッカリ王子なんて二つ名をつけられていたのは少しも嬉しくないが、間違ってもいないので複雑だ。

「ダメだ。風邪ひく」

案の定、真顔で却下を食らう。

「いやでも、布団ないし」
「なら、一緒に寝よう」
「いっ?」

しかも、できれば回避したい方向に話が転がってきた。どういうことだ。

「ふたりくらい入れるだろ、このベッド」
「え……いやいや、そんなことは」

実際はセミダブルなので、そこまでぎゅうぎゅうに狭いということはない。ただ、それなりに体格のいい身長百八十センチを誇る高校生男子である悠と、がっちりしていないとはいえ百七十五はある俺が一緒にベッドの中に入ったら、たぶんかなりギリギリになるだろう。

いくら近くても別々の布団で寝るのと、一緒のベッドで寝るのは、やはり話が違う。一緒にとか、俺の寝不足が目に見えていた。
いやでも、どうせ昼まで寝ているとかいうわけにはいかないんだし、それでもいいのか。うっかり熟睡したら豪快に寝坊をしそうな気もしなくはない。

「じゃあ、俺が床で寝る」
「それは却下」
「なら、解決策はひとつだけだ。あきらめろ、陽介」
「……わかったよ……」

まあ、結局のところはそうなるわけで。これはもう、安眠をあきらめるしかない。

「よし」

ただ、悠が満足そうだったので、それだけはよしとしておくことにした。




「…………」

案の定、ベッドに潜り込んで寝ようとしても、俺に睡魔は訪れなかった。
正確には眠いのに、真横にある体温が気になって眠れない。よくまあ、林間学校のときはあんなにくっついた状態で眠れたものだ。夜が更けて微妙に冷えていたせいか、すっかり抱き枕にされていた記憶もある。

あのときは、まだ自分の気持ちに気づいてなんかいなかった。悠は親友だって信じて、ただ浮かれていただけだった。
悠を好きになったことを、後悔はしていない。というか、好きになってしまったらもう、いくらあがこうがどうしようもないのだと思う。
理性や常識で制御できるような、そんな生やさしいものではないのだから。

「……って、またかよ」

つらつらとそんなことを考えていたら、身体の右側があったかくなると同時に重くなる。横目でちらりと確認してみたら、理由はすぐに判明した。豆電球しか点いていない薄暗い中でも、すぐにわかる。
林間学校のときに引き続き、またしても悠が俺に抱きついていたからだ。正確には、しがみついていた。

無意識のうちに暖を取ろうと、身近な熱源に近づいてきたのかもしれない。もしかしたらひとりを嫌って、人肌を求めたのかもしれない。

「…………」

仰向けになっていた体勢を変えて、横向きになってみた。そうすると、俺の右腕を抱え込んで暖を取っている悠の顔を、至近距離で眺めることになる。
熟睡しているかどうかはわからなかったけど、少なくともうなされたりはしていないようだった。

「ちょっとでもいいから、休んどけよ」

自由な腕をそろそろと動かして、砂色の髪をそっと撫でる。
まだ、俺たちの中で事件は終わっていない。わからないこと、気になること、納得できないことがある以上、それに目を瞑って結論を急ぐことはしないと、先刻決めた。
クマの姿も、消えたままだ。ジュネスの夜勤に紛れていたわけでもないし、家に帰ってきてもいない。未だ、問題は山積していた。

ただ──たぶん俺の中でいちばん重要なのは、今すぐ隣で寝息を立てている、こいつのことなんだろう。
たとえ俺が抱えている本当の感情が受け入れられることはなくても、他の誰に言えることでもなくても、悠のことを大切だと思う気持ちだけは隠さなくていいはずだし、否定されずにすむはずだ。

その結果、さっきはよりによって悠本人とぶつかり合うことにはなったけど、やはり俺はあのときの自分の選択を、後悔してはいなかった。間違っていたのかもしれないと頭のどこかが告げているのがわかっても、なお。

──ただ、俺は。悠から菜々子ちゃんを奪った生田目を、どうしても許せなかったのだ。




翌日、生田目から話を聞いた直後に菜々子ちゃんが息を吹き返したと知らされたとき、俺は心の底から安堵した。
悠は大切なものをなくさずにすんだ。そのことがまるで自分のことのように嬉しかった。ずるいとかそんなことは、一度も考えなかった。

ただ、生田目から真実を聞いて、ひとつだけ気づいたことがある。どうしてあのとき、悠が生田目を落とすことを思い留まったとき、俺はあんなにも激昂したのか。苦悩した上での判断だとわからないはずがなかったのに、なぜ悠を責めるようなことを口にしたのか。
答えが見えてしまえば、それは呆れるほどわかりやすいことだった。なぜ今まで気づかなかったのか、そのほうが不思議なくらいだ。

翌日、街で春に起こったふたつの殺人事件についてもう一度聞き込みしてみることに決めてから解散したあと、姿が見えないままのクマを探しながら、俺は何度か悠にメールを送ってみた。
べつに、気づいてしまったことを悠に伝えたかったわけじゃない。少なくとも、そのときはそうだった。ただ、いてもたってもいられなかった。悠が、ひとりで堂島家に帰っていったからなのかもしれない。

でも、早々に寝入ってしまったのか、悠からの返事はなかった。

そして──クマも、帰ってはこなかった。