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#15


人生十七年生きてきて、俺は初めて知った。自分で体重を支える気が皆無の人間っていうのは、ほんとびっくりするほど重い。

しかも、こいつは悔しいことに俺より身長が高い。しっかり筋肉もついてるから、それなりに体重もある。さっき、シャツの前が全開になったときにしっかり見えていた腹筋は、さすがにがっつりとは言えないまでも、かすかに割れていた。

というか、無駄な肉がついていない。そりゃ、バスケ部所属で、本人けっこうのんびりした性格をしてるくせにお人好しだからけっこう忙しくあちこち走り回ったりしていて、あれだけ豪快にエネルギー消費してればよけいな肉がつくような余地はないと思う。

というかなによりも悔しいのは、けっこうガタイがいいことだ。ムキムキとかそういうわけじゃないし、筋肉もガチガチなわけじゃないけど、ちゃんとしなやかだ。そんなもの、実際に触ってみればわかる。

──なんで、実際に触るようなことになってるんだって?
そんなの、悠を俺が担いでいるというか、なんとかホテルに連れて帰ろうとしてずるずる引きずっているからに他ならない。

さすがに自分よりも身長も体重もある相手を完全に抱え上げるのは無理で、だからって背負おうとするとなぜか当の本人が嫌がるので、結果として俺の肩に腕を回させて、肩と背中に全体重をかけさせた状態でなんとか引きずっている。
これならもういっそ背負ったほうが楽な気もするんだけど、足が地面についていないと妙に不安になるのか、酔っ払いが据わった目のままで抵抗しやがったからあきらめた。俺の腰が重さで逝きそうな気もしたし。

完全に潰れたクマを背負った完二が、俺のことをなんとも哀れなモノを見るような目で見ていたのが忘れられない。でも、悠を連れて帰る役目を他の誰かに譲るつもりはカケラもなかったので、ここはなんとか乗り越えるしかないんだろう。

とりあえず、べろべろになっていた天城とりせは、それぞれ里中と白鐘に託した。ここで仏心を出して、ヘタに俺や完二が連れて帰ろうもんならあとでなにを言われるかわかったもんじゃない。白鐘は男でもなんかそのあたり許されそうな外見してるから、きっと大丈夫だろう。うん、がんばれ。

前述の通り、クマは完二が連れて帰っている。あそこも、放置で大丈夫なはずだ。ああ見えて、完二はめちゃくちゃ面倒見がいい。

昨日は一部屋に四人がぎゅうづめにされていろんな意味でアレだったけど、今日は幸い部屋にひとつ空きができたとかで完二とクマをそっちの部屋に追いやることができたので、少しはゆっくり休めそうだ。
大体、あの部屋っていうかベッドひとつに野郎四人は狭すぎるっつの。女子ならともかく、あれは三人だって厳しいだろうが。

つまり、残る問題は、俺に引きずられてるこいつだけってことだ。

「おい、悠?」
「んー…………?」

ついさっきまで絶好調だったキング・鳴上悠は、今やすっかりただの睡魔に襲われかけてる酔っ払いと化していた。

酔っ払いつっても、あの店でアルコールは提供されていない。例のチビッコ探偵がはっきりとそう言っていた以上、本当にソフトドリンクのみだったんだろう。もしくは、ノンアルコールのドリンク。つまり、おそろしくタチの悪い場酔いだ。

ただ、ノンアルコールドンリンクの場合はアルコール度一パーセント未満のアルコールが含まれている場合もあるらしくて、場酔いで潰れた練中はすごい勢いでドリンクを飲み続けていたから、もしかしたらそこに反応したのかもしれない。
つーか、一パーセント未満のアルコールであそこまで完全に酔っ払えるほど量飲むって、そこからしてまず普通じゃないけどな。タダの魔力って恐ろしい。

「おい、生きてっか? つか、ちょっと休んでいい? お前、重い」
「……ん」

とりあえず、俺の肩口で潰れているキングにお伺いを立ててみたら一応肯定らしき返事があったので、俺は視界に入った公園で一度休憩することにした。

ずるずるとベンチまで悠を引きずっていって、そこに放り出す。ベンチの背にもたれて座ろうとしていたから、そのまま肩を押して座面に横にならせた。座らせてても、気づいたらそのまま横に倒れてそうで、こっちのほうが不安だったからだ。

「ちょっと、そのままそこで休んでろよ」
「んー……」

すでにまともに日本語を話せていない悠がベンチに横になったのを確認してから、眠そうに目を閉じたそいつをその場に置いて、俺は足早にそこから離れた。ミネラルウォーターかスポーツドリンクが売ってる自販機を探すためだ。

「ったく、世話の焼ける……」

幸い、自販機はそう遠くないところですぐに見つかった。
さすが、ランニングコースもあるっぽい公園。ズボンのポケットに放り込んできた小銭を放り込んで、とりあえずミネラルウォーターを一本買う。もう一本あったほうがいいかなと一瞬思ったけど、まずはこれでよしとすることにした。

なんというか、酔いつぶれて寝てるとは思うんだけど、あの場に酔っ払いをひとり放置しておくのが不安でならない。ざっと見た感じ公園内に他に人はいなかったし、悠はなにより眠そうだったから、いきなりふらっとどこかに消えてるとかの予想外のことにはなってないだろうけど、とにかく早く悠のところに戻りたかった。俺の、心の平穏のために。

で、自販機から転がり出てきたばかりの冷たいペットボトルを握りしめて、走って悠のところに戻ってみたら。

「……ようすけ?」
「え、なんで起きてんの?」

そこでは、さっきまではたしかに横になって睡没しかけていたはずの悠が、しっかりと起き上がっていた。

いや、しっかりというのは語弊があるかもしれない。ベンチの背に腕を引っかけて、なんとか起き上がっているといった風情だ。
まあ、起き上がっているのはこの際、べつにいい。なんせ横になってたのは木製のベンチだったわけだし、寝心地はあんまりよくなかっただろうから。

そんなことより問題は、悠の表情が妙に頼りなげだったことだ。こんな顔、初めて見たかもしれない。

否、正確には頼りなげ、というか……ああ、そうだ。
泣きそう、だ。

「どうしたんだよ。変な夢でも見たか?」
「いや……ちがう、けど」

立ったままの俺を見上げていた悠が、ぱちりと目を瞬かせる。そのままぱちぱちと、何度かまばたきを繰り返して。

──なぜか、蕩けるように笑った。

「ようすけだ」
「あ……ったり前だろ。ここまでお前を引きずってきたの、俺だっつーの……」

頼むから、いくら酔っ払ってるからってその笑顔はやめてほしい。俺の理性に、致命的なヒビが入るから。

というか、あれか。気づいたら周りに誰もいなかったから、不安になって飛び起きたってところか。そりゃまあ、さっきまであんなににぎやかっていうか騒がしかったんだから、急に静かになって人っ子ひとりいなくなったら、誰だって不安にもなるだろう。

詳しいことは聞いたことないけど、こいつはひとりに慣れているように見えても決してそうではないということを、俺はもう知っている。
だからこうやって今も急いで戻ってきたんだけど、改めてそれを眼前に突きつけられた気分になって、俺は少しだけなんとも言えない気分になった。

こいつにあんな頼りなさそうな表情をさせたくないと思ったのは、紛れもない本音だ。

でも、もうひとつ。

悠を安心させてやれるのが俺だけだといいなんて、そんなことを思ってしまったのも、ごまかしようがないほどに事実だったから。

「ほら、水。てか、場酔いでここまで見事に酔っ払うってどーゆーこと?」
「……うーん?」

とろんとした、どう見ても酔っ払いの目で見上げてくる悠に、キャップを外したミネラルウォーターのペットボトルを渡す。意外としっかりとした手つきでそれを受け取った悠は、ぼんやりとした目付きでペットボトルへと視線を移した。

あ、ダメだ。わかってない。

「それ、水な。飲んどけ。少しは酔いが醒めるから」
「うん」

噛んで含めるみたいにもう一度言えば、こくんと頷いた。なんか、いつもよりだいぶ精神年齢が退行しているようだ。まあ、人間眠いときなんてこんなもんか。
重いのか眠いのか頭をふらふらさせて、それでもなんとかペットボトルに口をつけて水を飲んでいる悠を見守りながら、なんとなく不思議な気分になる。日頃はどちらかといえば他人の面倒を見ているようなヤツが、こんな風にへべれけになっている姿を見るのは、ある意味新鮮で面白い。

ただ、なんていうんだろう。こういう姿を見せるのは俺の前だけにしてほしいな、とも少しどころじゃなく思う。
大体、なんでまたシャツの前が全開になってるんだよ。エスカペイドを出る前に、外れてたボタン全部止めたはずなんですけど!

「水、なくなった」

今さら気づいた現状に頭を抱えたくなっている俺に気づく素振りもなく、悠はいつの間にか飲み干していた空のペットボトルを不思議そうに見つめている。そりゃまあ、飲めばなくなるだろうよ。
てか、一瞬で飲み干すくらい喉渇いてたのか。あれだけ水分摂ってたのに、やっぱりそういう問題でもないらしい。

とりあえず、今はすっかり空になってただのおもちゃになっているペットボトルより、いつの間にか全開になってたそのシャツのボタンをなんとかしたい。こう、いろんな意味で。

「はいはい。つか、ボタン外すな。止めさせろ」
「だって、あつい」
「人前で脱ぐの禁止!」
「ここ、ようすけしかいないし」
「いなくても! これからまた、人がいっぱいいるとこ通るから!」
「ふーん……?」

まったく納得していなさそうな悠を正論でなだめすかしながら、ひとつずつシャツのボタンをはめていく。

夜中になると夏でもけっこう涼しくなる八十稲羽と違って、このあたりはやっぱり都会だけあって夜でもあまり気温が下がらない。ただの酔っ払いと化している悠が暑さを感じるのはしょうがないかもしれないし、実際のところ上半身裸で歩いてても風邪を引いたりすることはないと思うんだけど、やっぱりここはちゃんとしておきたかった。
白鐘に言われたわけじゃないけど、バカ軍団に残された良識としては、なんとなく。

幸い、文句を言いたげではあったものの、悠はおとなしくしていてくれた。そういえばエスカペイドから出る前にボタンを止めてやったときも、特に抵抗することなくおとなしくしていたような気はする。
やってもらえれば受け入れるけど、隙を見てボタン外すことは忘れないってことか。理解した。なんつー、油断も隙もない。

「ほら、帰るぞ」
「ん」

とりあえずボタンをもう一度全部はめてやってから(首元が苦しいのか嫌がるので、第一ボタンと第二ボタンは開けたままだ)、もう大丈夫そうなので声をかける。……なんだが、すぐに答えは返ってきたものの、動く素振りがない。

「おーい、悠?」
「手」
「…………」

もう一度呼びかけてみたら、今度はベンチの背もたれに全体重をかけたまま、手だけ伸ばされた。
ああ、つまりまた引きずっていけと、そういうわけね。まあ、そうだろうな、うん。

「ったく、この酔っ払いが……」
「うん」

しょうがないから手を伸ばして、悠の腕をつかむ。そのまま引っ張り上げれば、意外にもあっさりと悠の身体は持ち上がった。一応、協力してくれるつもりはあるらしい。
持ち上げた腕を自分の肩に回して、体重をかけさせる。引っ張り上げたときの謙虚さとはまったく逆で、今度はずっしりと重さがのしかかってきた。うん、重い。

でも、この重さが預けられた信頼の大きさな気がしてしまってまんざらでもないあたり、俺も相当末期なんだと思う。というより、再起不能? 脱出不能?
まあ、この心地良い泥沼から抜け出すつもりはさらさらないので、いいんだけどな。
俺、思ったより思い切りがよかったみたいだ。これは、最近知った事実だった。

「ようすけ」

顔のすぐそばに、悠のさらさらした砂色の髪がある。肩口で、というよりは耳のすぐそばで名前をささやかれて、ほんの一瞬だけぞくりと全身が震えた。

「ん、なんだよ?」

悠は酔っ払ってるから、きっと気づいてない。というか、気づかないでいてほしい。
いや、ちょっと震えたことくらいはバレてもいいんだけど、その原因には気づかないままでいてほしい。すぐ耳元で喋られたからくすぐったかったんだとか、そんな誤解をしていてほしかった。本当に、心の底から。

そんな声を大にしては言えない俺の本音に、悠が気づいてくれるはずもなくて。
ぎゅっと、俺の肩にしがみつく力が強くなる。それ自体は嬉しいけど、なんでそんなことになったのかがよくわからない。ちゃんと悠の身体を支えているから、ずり落ちそうになったとかいうこともないはずだ。

「悠?」

だから、少しだけ悠のほうに顔を向けてみた。とはいってももともとが至近距離なんで、そんなしっかり顔が見えるわけじゃなかったんだけど。

──ただ、どうやら、そんな些細な動きでも、十分だったらしい。
完全に酔っ払っている、悠にとっては。

「……っ!?」

なにが起こったのか、一瞬わからなかった。
ふわり、と。口元を、なにかがかすめていく。

一体、それはなんだったのか。混乱した頭が、答えを出させてくれない。
……ただ、熱かった。なんで熱かったのか、少し考えればわかりそうなのに、すぐには正解が見えてこない。

というか、そもそも熱いことが不思議だった。もっと、冷たいと思っていたから。
──いや、だから、俺は一体なんのことを言っている?

「よろしく。おやすみ」

そして。大混乱を起こしている俺の耳元で、悠がそんな満足そうな声を出した。
いや、だからなにがよろしくで、一体どういうことなんだ?

「……って、悠?」
「…………すぅ」

どうしよう。完全にこれ、寝息だ。

「悠! おい、悠!?」

身体をゆすってみてもなにをしてみても、びくともしない。ついさっきまで、ボケボケとはいえちゃんと言葉を喋っていた人間とは思えない熟睡っぷりだ。

というか、なんだ。もしかして、さっきまで起きてるように見えてたけど、じつは違ってたってことか?
百パーセント、寝ぼけてたてことか?

「どーしろって……?」

半分睡没してるような状態でも、あそこまで重かったのだ。完全に熟睡しちまった相手を、俺はどうやってホテルまで連れて帰ればいいんだろう。
いや、今はもう完全に寝てるから、背負っても文句は言われないのか。

「つーか……」

うん、わかってる。今考えるべきは、そんなことじゃない。

必死で、頭がさっき遭遇した衝撃的事実から逃れようとしているだけだ。正確には逃れたくないんだけど、まさかこの状況でバカ正直に真っ正面から受け止めるわけにはいかないってそれだけだ。
つまり、だ。

「この、酔っ払い天然ジゴロが……っ」

どうしてくれるんだ、俺のファーストキス。
なまじ好きなヤツが相手だから、忘れられないっつーの……!