#10


「あ、そだ。花村、これあげる」

退屈としか言いようのない授業が終わった後の放課後、斜め前の席から振り返った里中がそんなことを言い出したのは、かなり唐突だった。なんの前触れもなかった。

「へ?」

にゅっと伸びてきた里中の手の中から机の上に転がり落ちたのは、なんとも言えない色合いの箱だ。カラフルとは言い難く、間違っても地味ではなく、そもそも趣味がいいとは逆立ちしても言えそうにない。
というか、そもそも意味がわからなかった。

「おい、なんだこりゃ?」
「たこ焼きガム」
「はあ!?」

正体を聞いても、わからなかったけどな。

「それ、おやつに食べようって思って買ったんだけど、間違えちゃってさ。肉ガム買ったつもりだったのに、おっかしいなー。なんでたこ焼きガム?」
「知るかよ!」

そんなの俺が知りたい。そもそも、おやつに肉ガムってセレクト自体が意味わかんねえ。里中のやつ、どこまで肉が好きなんだ。
……今さらか。

「たこ焼きガム……?」

俺の前の席で教科書を鞄に詰めていた鳴上も、耳に入った単語のあまりのおかしさに目を丸くしながらこっちを振り返っていた。もちろん、その視線は机の上のたこ焼きガムの箱に釘付けだ。そりゃ、鳴上だって驚くだろう。普通に考えて、たこ焼きはガムにするようなもんじゃない。

「てか、なんで俺に?」

とりあえず、食いたいとか心にもないことを口走った覚えはない。そもそも、そんなもんが存在することすら知らなかった。
里中が俺に食い物をたかるならともかく、逆にこうやってなにかをくれることはあんまりない。というか、たぶん初めてだ。
いや、正直なところ、里中が作った手作りの食い物とか絶対勘弁だけどな。頼まれたって食いたくないけどな。忘れもしない林間学校の日、ムドオン級の殺傷力を秘めた物体Xの前に砕け散った俺の純真なハートを返せ。

とにかく、里中が俺にこれを寄越してきた意味がわからない。
小袋ひとつというわけではなく、おそらくはガムを包んだ小袋がいくつも詰まった状態の箱を指差しながら聞いてみれば、里中は満面に得意げな笑みを浮かべた。
なんでだろう。強烈に、嫌な予感がする。

「だって、たしか花村の誕生日って六月だったじゃん? だから、誕生日プレゼント」
「はあっ!?」

でもって、その嫌な予感はあながちハズレてもいなかった。里中の脳内は、たまにのぞいてみたいような気分になる。肉に関して、こいつに常識は期待できない。
つーか、誕生日プレゼントにたこ焼きガムって、それどういう発想なんだ。見習うつもりはさらさらないけど、その思考回路はちょっと知りたい。

「ちょっと待て。もしかして、そのココロは嫌がらせ!?」
「んなワケないっしょ! 捨てるのもったいないから、あんたにあげる」
「……もっとひどくね?」
「そ、そんなことないもん」

つまりなんだ、廃品処理か。でも、そう考えたらなんか納得した。
というか、なにかを企んでいないことに安心した。間違って買ってしまったいらないものを俺の誕生日にかこつけて押しつけたかっただけなら、他に警戒しとかなきゃヤバいようなことはないだろう。
一応市販品として売ってるモノなら、あの物体X並の破壊力はないだろうしな。
……どう見ても、マズそうな気配がぷんぷんするけど。

「えっと、その、なに? ちょっとばっかしブツはアレだけど、誕生日を祝う気持ちはちゃんとあるから!」

机の横にかけてあった鞄を手にして、勢いよく里中が立ち上がる。やや早口になっていたところを見ると、たぶん照れ隠しがいくらか入っているんじゃないかって感じだ。

「あー……まー、それはサンキュ……?」

プレゼントにはげんなりしたが、一応祝ってもらえることそのものはやっぱり嬉しいので、そこにはちゃんと礼を言っておくことにした。そもそも、里中が俺の誕生日を覚えていたこと自体が驚きだ。なにしろ、いつ教えたのか覚えてない。
それくらい印象が薄い出来事だったはずなのに、誕生日っていうかそういうイベントをああ見えてちゃんと覚えているあたり、里中もやっぱり女子なんだなってしみじみする。

というわけで、なんか新たな発見をした気分になっていたら、いつの間にか里中は満足そうな表情になっていた。
なにかをやりきった! って顔だ。たこ焼きガムを捨てることなく始末できたことが満足なんだろうなって思う。
いや、まあね。俺だって、誕生日のプレゼントにもらったものをひとつも口にすることなく捨てるような不義理なことはできないから、ちゃんと食うつもりだ。
……なんとか、ひとつくらいは。

「んじゃ、そゆことで! 雪子、帰ろーっ!」
「うん。鳴上くん、花村くん、また明日ね」
「おー」
「ああ」

今日も今日とて、仲良くふたり並んで教室を出て行く里中と天城を、ひらりと軽く手を振りながら見送る。しばらくたこ焼きガムを見つめたまま黙っていた鳴上も、顔を上げてふたりの背中を見送ったようだ。
今、テレビの中に行く用事はない。すっかり焦げ付いたクマ毛が生え替わるまではひとりにしておいてくれとクマに頼まれたこともあって、様子を見に行くこともできない。

なので、ここ数日の放課後は至って平和だった。今日はめずらしくバイトのシフトも入っていないので、本気でのんびりできる。
鳴上も部活がない日のはずだし、暇ならどっか寄ってかないかって声をかけようとして、ふと気づいた。
鳴上はなぜかまたたこ焼きガムの箱に視線を戻して、じーっと眺めている。
……そんなに気になるんだろうか、たこ焼きガム。

「鳴上?」

欲しいならいくらでもやるぞ、と言葉を続けようとして、俺はなんとなく口をつぐんだ。かわりに、そろそろと鳴上の顔をのぞき込む。
相変わらず、鳴上の表情筋はサボリを決め込んでいた。だけど、いつもどおり目だけは鳴上の心情を表している。
そこから推測すると、だ。
──俺の気のせいじゃなければ、もしかしてしょんぼりしている?

「……誕生日」
「え?」

ぽつり、と鳴上が単語を呟く。思わず聞き返したけど、一応聞き取れてはいた。
ただ、誕生日がどうしたのかがわからない。今現在、鳴上が一心不乱に見つめているモノはたしかに誕生日プレゼントとしてもらったものではあるけど、なまじ経緯を知ってしまったせいか、ありがたみみたいなものは端っからなかった。
……里中の手作りケーキとか、そんなもんを寄越されるよりは百倍マシだと思うけど。
女子の手作り菓子とか、本当だったら狂喜乱舞レベルなんだが、さすがにあの腕を知ってしまったらそんな恐ろしい夢は抱けない。俺だって命は惜しい。里中と天城の腕は、本気で世の男どころか人間を壊滅させられると思う。

──なんか、話が豪快にずれた。とにかく、鳴上がたこ焼きガムを見つめながら、というかどっちかといえばガン見しながら、神妙な顔をしている理由が俺には予測不能だ。

「…………」

鳴上が、やっとたこ焼きガムから視線を外して、こっちを見る。
その表情に、先ほど垣間見えたような気がする揺らぎは、すでになかった。

「誕生日って、いつだったんだ?」

口調も声音も、いつもと同じだ。ちょっとだけ不思議そうに、首を傾げている。
神妙そうな雰囲気も、すでにない。あっという間に、霧散してしまった。

「へ。えーと、六月二十二日」

そのことが、なぜか気に掛かる。なのに、どうしてもその理由が見つけられない。
意識を半分そっちに持っていかれたまま、今度はちゃんと単語じゃなくて、文章となっていた疑問に答えを示した。
ぱちり、と鳴上が目を瞬かせる。砂色の瞳が、やっぱりまっすぐに俺を捉えていた。
その瞳に浮かぶ光は、さほど強くない。テレビの中で何度も見た、戦いを前にしたときの鋭さはどこにもなかった。
あどけない、と表現してもいいかもしれない。そのせいか、なんだか衝動的に頭を撫でてやりたい気分になる。いや、しないけど。

「一週間前」
どこか納得したように、鳴上が呟いた。言われてようやく、今日が六月二十九日だったことを思い出す。

「あー、そっか。ちょうど一週間前だな」

考えてみれば、もうあれから一週間経ったのか。今年の俺の誕生日は、アイドルりせちーと会えた記念すべき日だ。
まあ、それに気づいたのは、テレビの中に放り込まれたりせを助け出してから少し経ってからだった。あのあたりはいろいろと怒濤だったし、そもそも自分の誕生日のことなんてきれいさっぱり忘れてた。両親は朝いちばんに祝いの言葉をくれたけど、誕生日のプレゼントはもう前渡しでもらってたから、日付にまったくこだわっていなかったというのもある。
両親以外、ここ八十稲羽に俺の誕生日を知っている人間はいない。今まで、それを疑ったことはなかった。なにしろ、意識して他人に教えた覚えがないんだから、当然だ。
でも、じつは違ったらしい。

「知らなかった」
「つか、里中が知ってたことに驚いたわ、俺。言った覚えねえぞ」

それがとても意外で、知っている人が他にいたことをちょっとだけ嬉しく思うと同時に、なぜか後悔のような感情も抱いた。
俺からそっと視線を外して、目を伏せながら「知らなかった」と呟いた鳴上の姿に、なんでか胸が突かれた気分になったかもしれない。
べつに鳴上の様子がおかしい、というわけではなかった。ごく普通だ。悲しそうな顔をしたわけでも、なんでもない。
それなのに、勝手にまずいことをしたような気になっている自分が、どうしようもないバカだと思う。

──それとも、もっとわかりやすい、拗ねたような反応をしてほしかったんだろうか。
いや、さすがにそれはない。女子の友だち付き合いならそれもありそうだけど、男同士の友人関係でそういうのは聞いたことない。

「言ってくれれば、がんもどきくらいプレゼントしたのに」

ふたたび、鳴上の視線が俺へと戻ってくる。その目には、よく見なければわからないくらいとはいえ楽しそうな色が浮かんでいて、少しホッとした。
こいつは、感情が表に出ないわけじゃない。ちょっとわかりにくいだけだ。
その小さな感情表現を見分けられるようになった自負があるからこそ、さっき視線を外されたときに、妙な感覚を覚えたのかもしれない。
まるで、感情を完全に隠されたような錯覚に陥って。

「なんでがんも……?」

頭の片隅でそんなことを考えながら、首を傾げる。鳴上がド天然でマイペースなのは今に始まったことじゃないが、なんでここでがんもどきが出てくるのかが不明だ。男子高校生としてはかなりチョイスが渋い気がする。
頭上に盛大な疑問符を並べ立てた俺の様子がおかしかったのか、椅子の背に肘を乗せて後ろを振り向いていた状態だった鳴上の眼差しが、今までより目に見えて柔らかくなった。
途端に、全身の雰囲気まで変わる。あきらかに、とっつきやすくなった。こいつの外見だけ見てひるんでたヤツだって、今なら気軽に声ををかけられそうな雰囲気だ。
いや、俺はとっくの昔にこいつがただの天然だって知ってるから、そんな誤解は少しも抱いてないけどな。

「二十二日、がんもどき買ったから。りせの豆腐屋で」
「あー……そういやそうだっけか」

そもそも、あそこで金払ったの俺だった。きれいさっぱり忘れてた。
そしてよくよく考えれば、今年の俺の誕生日は、いろいろ怒濤だったけどそれなりに得るものも大きかった日なんだということに気づく。
ホンモノのりせちーに会えて、尾行して、まぎらわしいことこの上なかったカメラ小僧を捕まえて、最後は鳴上にりせちーの良さを説いていた気がする。理解してもらえて、ものすごく嬉しかった。
……なんか良い日だった印象が強いのは、最後のおかげか。

「そういや、鳴上の誕生日っていつよ?」

ふと気になって、俺は机の上に身体を乗り出した。鳴上の顔が近づいて、ものすごく至近距離で見つめ合う。ここまで近づいても嫌な気分がしないってのが、まず不思議だった。前の俺だったら、確実に回避していた距離感のはずだ。
ああ、でも、自分から近づいてるから平気なのか。もし、これが鳴上のほうから近づいてきたんだとしたら、一体俺はどう思うんだろう。

「……俺?」
「そう、お前の」

俺の質問に目を丸くした鳴上の顔を眺めつつ、思う。うん、たとえこれが鳴上からの接近だったとしても、たぶん嫌じゃない。警戒心みたいなものも、きっと起こらない。
漠然と、そう思った。べつに、しっかりとした裏付けがあるわけじゃない。もしかしたら俺がそうだといいなと思ってるだけなのかもしれない。

驚くと本気で猫みたいになる鳴上のアーモンド型の目は、本当にいろんな感情を映す。ここまで近づけば、さらによくわかる。
その色素の薄い瞳に、ちょっとだけ違う色が浮かんだ。気のせいじゃなければこれは、なにか鳴上的にこれだってことを思いついたときのものだ。

「秘密」

そして、その判断は間違っていなかった。
ただ、俺的には面白いどころか、それはねえよってオチだったけど。そんなんあり?

「えっ、なんで!? 俺には知られたくないとかどういうオチ!? 俺、べつに誕生日だからって嫌がらせするよーな真似しねーぞ!?」
「そんな心配、してない」
「ならなんで教えてくんねーの!?」
「だって、俺も知らなかったし」
「え?」

思いがけないことを言われて、つい目を瞬かせた。すぐ目の前に見える鳴上の目に浮かんでいるのは、先ほどと変わらないちょっとだけ楽しそうな色だ。

「だから、誕生日過ぎたら教える、かも」
「かも、かよ。そこは確約しろよ。じゃなきゃ、今教えろよ」
「過ぎたらな」

楽しげにそんなことを言いながら、鳴上がたこ焼きガムの箱をつついている。たぶん食べてみたいんだなと推測して、箱を開けて中からひとつガムを取り出してやった。
……茶色い。というか、ガムに見えない。

「ほら、やるよ。毒味してくれ」
「わかった」

真顔で丸っこい茶色の物体を受け取った鳴上が、それをおもむろに口の中へと放り込む。
次の瞬間、わかりやすく顔が歪んだ。やっぱりか。
サボりまくってる鳴上の表情筋を無理矢理働かせるとは、このたこ焼きガムのヤツ、あなどれない。

「どんな味?」
「……ソース味」
「美味い?」
「マズイ」
「ですよね」

とりあえず、いくら貰ったものとはいえこれを完食するのは難しそうだと、そんな結論に達した。