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#06


「なー」

カーメンが教室を出て行くのをなんとなく見送ってから、目の前にある学ランに包まれた背中をつついてみた。
八十神高校の制服は、ド田舎にある学校のものにしちゃ妙にオシャレだ。好みうんぬんはあるだろうけど、もし都心部の高校がこの制服を採用していたら、確実に何人かは制服につられて入学願書を出したらヤツがいたんじゃないかって気がする。

「なんだ?」

俺に背中をつつかれて振り返ったそいつは、そんな田舎にしてはオシャレな制服の前を全開にして、みごとに着こなしていた。
その似合いっぷりは、ちょっと前までは都会で高校生やってたからとか、そういう理由ではないように思う。大体、転校してきた直後はこいつ──鳴上も、学ランの前を全部きっちり止めていた。
気づいたら全開になってたけど、なんとなくこっちのほうが似合うような気もするから、それに突っ込んだこともなければ深く考えたこともない。
とりあえず、黒い学ランを着ていても前が景気よく全開なせいか、五月も半ば近くなってそれなりに気温も上がっているっていうのに、こいつの姿は妙に涼しげだ。

「どーだった?」

で、そんな見慣れた制服なんかのことより、もっと切実なことがある。
本当のことを言えば一瞬たりとて考えたくもないんだが、目の前にこれ見よがしに降ってきた以上、完全に無視もしていられない。
俺は無視していたくても、周囲っていうか、両親が騒ぎ立てるのは必至なわけで。

「どうって?」
「テストだよ、テストの結果」

不思議そうにぱちりとアーモンド型の目を瞬かせた鳴上の背中をもう一度つついてから、俺は机の上にあごを乗せた。そのまま上目遣いで振り返ってこっちを見てる整った顔を見上げると、鳴上が今度は首を傾げる。つい先刻返ってきた、歴史のテストの点数を思い出しているのかもしれない。
中間テスト、歴史は初日だった。だから、テスト期間が終わった翌々日の今日に返ってきてもおかしくはないわけだが、こんな早々に戻ってこられると困る。なにしろ、テストの存在を忘れてる暇すらない。
というか、このあんまり見たくないし誰かに(特に親に)見られたくもない真っ赤なテスト用紙、一体どうすればいいんだ。

「まあまあだった」

鳴上は、そうやって返ってきた結果を見て嘆くしかない俺とは違っていたらしい。いつもどおり、特別表情を変えることもなく、あっさりそんなことを言っていた。強いて言うなら至極真面目な表情、だ。
ちなみに、鳴上の表情筋はなぜかサボリがちであんまり動かないが、中身はそうでもないことを俺は知っている。ただ、価値観が独特なのか感性がちょっとズレてるのか、とにかくおそろしいほどにマイペースなので、反応自体はいつだって斜め上だ。
とりあえず、テストの結果としてはごく普通の答えが返ってきたことに、俺はホッと安堵の息をつくべきだろうか。それも、なにか違うような気はする。

「まあまあかよ。くそー、俺もそんなこと言ってみたいぜ……つーか、お前、昨日もそんなこと言ってたよな」
「うん。叔父さんに言われた」
「なんて?」
「便利な答えだって」
「そりゃまあ、たしかに」

でも、そう言いながら鳴上が見せてくれたテスト用紙に書かれていた点数は実際にまあまあ≠チていう表現が通用するもので、それなら他に言いようはないよな、とも思った。というか、そのまあまあ@\想は見事に当たったわけだ。とりあえず、歴史では。
つまり、それは自分のデキ具合もちゃんと把握してるってことか。本当にできてないヤツはそれすら判別できないから、やっぱ鳴上は決して頭が悪いほうじゃないんだろう。
──ああ、そうだ。
そういやこいつは、たまに信じられないほどマイペースだったりするけど、基本的に真面目だった。

「花村は……」

机にへばりついたまま視線だけ上を向いている俺を、じっと鳴上が見下ろしている。なにを思ったのか俺の名前を口にして、しばらくそのまま沈黙して、それからゆっくりと瞬きしながら首を傾げた。

「……そっとしておく?」
「それ、よけいみじめだからヤメテ!」

どうやら、俺の結果について聞こうとして止めたらしい。その鳴上の心遣いは、そりゃもうぐっさりと俺の繊細なハートに突き刺さった。
まあ、そっとしておいてもらったほうがいい点数だったけどな。それは、嘘偽りない事実というか、ごまかしようもない。

「花村、テスト勉強してなかったしな。みごとに」

とはいえ、だ。そこで、納得したように頷くのはともかく、なぜか感心したような素振りを見せられた場合、一体どうすればいいんだろう。

「あ、え、うん、まーな」

なんというか、今までにない反応だったもんで、一瞬だけうろたえた。男のっていうか相棒としての意地で、表情には出さなかったけど。
里中みたいに呆れつつ説教する、とかならわかりやすい。反応としてはあらかじめ想像がつくから、普通にスルーできる。
結局、鳴上はどこまでも予想外というか、斜め上だってことだ。
でもまあ、うろたえはしたものの、このテのことで頭から否定されない、文句言われたり説教をくらったりしないっていうのは結構気分がいいもので、俺はさっさと驚きと衝撃から立ち直った。
人間、自分に都合のいいことだったらすぐさま順応できるもんだ。

「だって、する気でねーよ。それどころじゃないってのに」

上向いていた視線を元に戻して、完全に机の上へと突っ伏す。マジで、今期の中間テストは勉強どころじゃなかった。マヨナカテレビはしばらく映ってなくて、情報も足りないから推理も捜査もさっぱり進展を見せていないせいか、気ばかりが焦っている。もちろん、現在進行形で、だ。
こんな中途半端な状況のまま放り出されてんのに、ちゃんとテスト勉強とかこなせてる鳴上たちのほうがすごい。正直、感心する。

──被害者なんか、これ以上増えないほうがいい。それは、ちゃんとわかっている。
だからこそ、よけいもやもやするのかもしれなかった。天城を殺すのに失敗したと犯人が気づいてこれ以上動くのをやめれば、もう手がかりはつかめない。
けど、被害者は増えない。もう、理由もわからないままテレビの中に誰かが放り込まれて殺されるようなことは起きない。

そっちのほうがいいとわかってはいても、すっきりはしなかった。大体、犯人が動かないとなにもできないってのが気にくわないのか。
窓の外では、雨が降っている。明日も雨らしい。
……マヨナカテレビに、なにか映るかもしれない。なにも映ってほしくないはずなのに、心の片隅ではなにか映ればいいと思っている。

ああ、本当に、テレビの中で俺の前に現れたあの影は、間違いなく俺自身だ。
存在を認めてはいるわけだから今さらとはいえ、やっぱりこうやって直面すると微妙にへこむ。それもあって、ちょうど顔が隠れるのをいいことにそのまま机に突っ伏していたら、頭になにかが触れた。

「花村は一点集中型なんだな」

続いて、耳にするとなぜか落ち着く、鳴上の声が降ってくる。頭に乗っていたなにかが動くのがわかって、そこでようやく頭を撫でられているのだと気づいた。

「器用そうなのに」
「えー? そーでもねえよ」

本当に器用だったら、ウザイとか言われないと思う。あ、また地味にへこんだ。
まったく、自分で自分をへこませてるんだから世話がない。そんなツッコミを心の中で自分で自分にやってるあたり、ますますどうしようもない。

「でも、いいんじゃないか。それで」
「……そぉ?」
「花村らしい」
「そっか」
「微妙にガッカリで」
「こら待て。ガッカリ言うの禁止!」
「はは」

笑いながら触れてくる指の感覚がなぜか心地よく感じられて、そのまま目をつぶった。父親以外の男に髪を撫でられてホッとするなんて、もしかしなくても生まれて初めてだ。
初めてなのに、それで当然だって俺の感覚は言っている。
一応、相棒なんてモノを名乗る以上、対等に肩を並べていたい。それを求めても返してくれる、生まれて初めての親友だって、本気で思っている。
でも、それと同じくらい強く、俺はこいつだったらちょっとくらい甘えたことを言っても許してくれるって、そう思っているみたいだ。つまり甘えてるわけか、同い年の男に。冷静に考えたら意味わかんねえって感じだけど、そうなんだから仕方がない。
ダメな部分を最初に全部見せちまって、なのにそれを否定しないでくれたからなんだろうなってのは、もうとっくの昔にわかっていた。

「鳴上ってさ、人を甘やかすのけっこう得意じゃね?」
「? そうか?」
「そーだろ」

今、実際に、こうやって甘やかされている。
鳴上本人に自覚がないってことは、このまま甘受しててもいいんだろうか。押しに弱くて頼まれると嫌と言えないってのはこの間の海老原の件でよくわかったけど、本意じゃないときはわかりやすく挙動不審になるし、ついでに口数も減る。一見クールに見えても、こいつ個人をよく知っていくとそんなこともない。
まあ、本当にクールだったらそもそも人見知りしないか。そういえばこいつが八十稲羽に来てからそろそろ一カ月、最近は部活にも真面目に顔を出してるようだし、人見知りもなりを潜めてきたのかもしれない。
そんなことを考えながら、ずっと俺の頭を撫でている鳴上の指の動きを触感だけで追っていたら、ひょいと髪の毛をつままれた。なんでだ。

「面白いな」
「なにが?」
「花村の髪」
「へ?」

ちょっと、意味がわからない。
染めてるから地毛ってわけじゃないが、色的には普通の範疇に入るはずだ。その点、鳴上の髪の色のほうがよっぽどめずらしい。
だが、そういうわけでもなかったみたいだ。痛くはない程度に、もう一度つんつんと髪を引っ張られる。

「思ってたより、やわらかい」
「は?」

語尾に「すごいな」とでもつけられそうな勢いで感心されて、思わず顔を上げた。視界に入った鳴上は予想に違わず、日頃は少しだけ伏せがちな目をぱっちりと開けて、興味津々といった風情でつまんだ俺の髪を見つめている。
いや、その髪、お前が毎日見てるはずのモノなんですけど。

「跳ねてるから、固いのかと」
「いや、これ、わざとだから。ワックス効果だから」
「そうなのか」

もしかして、濡れてもこのまんまとか思われてたんだろうか。さすがにそれはないと思いかけて、鳴上ならそう思っててもおかしくないなって考え直した。
少なくとも俺よりは勉強できるみたいだし、真面目だし、ペルソナ使わせれば強いし、緊急時の判断力とか決断力とかみごとなのに、なんで普段はこうもボケてるんだ。
いや、そのギャップこそがこいつの個性なんだろう。
でもって、その個性があるからこそ、目が離せなくなるんだと思う。

「三つ編みしたくなってきた」
「や、そりゃさすがに無理だろ……」

そして、やっぱり今日も鳴上の言動には脈絡がない。
いやでも、こいつは暇さえあれば手癖で鶴折ってるようなヤツだ。この間、プラモデルひとつ作ったとも言ってた。手先が器用なのは間違いない。
え、でも、手先が器用なヤツってみんなこうなの? まさかな。

結局、休み時間が終わるまで、鳴上は名残惜しそうに俺の髪をいじっていた。
三つ編みしたかったんだろうな、うん。俺の髪は短いから、ちょっと無茶だ。
今度、天城にでもさせてもらえ。一緒に頼んでやるから。