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#02


帰ってすぐ、飯も食わずにばったりと大の字でベッドに倒れ込んだ。制服脱いで着替える余裕とか、そんなもんどこにもなかった。

クマからもらったメガネをかけてれば視界はクリアになったし、かけてないときに比べれば体力の消耗も抑えられた気がする。でも、そんなの気休めにしかならなかった。

俺自身のシャドウだなんて、そんなとんでもないモノに遭遇しちまったんだから、当然なのかもしれない。

「……自分自身に殺される、か」

テレビの中の世界は、いろいろと普通じゃなかった。最初からわかっていたことではあったけど、予想以上にとんでもなかった。
俺が今、こうして疲れきった身体をベッドに投げ出してため息なんてついてられるのは、運がよかったからだ。鳴上が助けてくれたから、生き延びられた。
ひとりだけだったら、目の前に現れたアレを認めるなんてことできるわけなかった。山野アナも小西先輩も、たったひとりでは影の主張を否定するしかできなくて、結局命を落とすことになったんだろう。クマも、そう言っていた。

「…………」

疲れ切ってるから今すぐにでも寝たいのに、目を閉じるといろんなことが次から次へと浮かんでくる。

つまり、あれだ。俺は今日、自分でも見たくなくてずっと押さえ込んでいた俺自身の負の感情の塊を否応なしに突きつけられたあげく、本当に好きだと思っていた相手にそりゃあもう完膚なきまでにフラれたワケだ。もしかして、なんて期待とかそんなもの、持ちようがないほど見事だった。小西先輩はもう殺されてしまってるんだから──しかも、小西先輩自身の影に──期待したところで意味なんかないんだけど、でもやっぱりもうこの世にはいなくなってしまった好きだった人に好かれてたのとじつは心の奥底でウザイと思われてたのじゃ、気分的には天地の差になる。

「わかってたけどさ……」

鳴上にも言った通り、ある程度は俺だって気づいていた。ジュネス店長の息子って要素がある限り、俺はこの稲羽で無条件に好意的な目で見られることがまずない。
その上で周囲とうまくやっていこうとして、やっぱり無理はしてた。無理しても結局は受け入れてもらえなくて、でもそれも当たり前だったのかもしれない。だって俺自身、ここ稲羽で新たに知り合った誰にも、本当の意味では心なんて開いちゃいなかった。

警戒、していたのかもしれない。いや、今でもしている、きっと。

「だあああ! だから、そーゆーのはいいんだよ、今は!」

もう、これじゃ寝るどころじゃない。
ぐっだぐだしてる俺自身に悪態をついてから、勢いよく飛び起きた。着替える気力も尽きるくらい疲れてたはずなのに、なんでこうなるんだかホント謎だ。

なら、もういっそ風呂入って飯食ってから寝ようか、なんて考えてみた。……階段降りるのがめんどくせえ。というか、部屋から出るのがめんどくせえ。
そもそも、立ち上がるのがめんどくさい。やっぱり動き回る気力は、俺の中のどこを探してもかけらも残っていなかった。

「……携帯、どこやったっけ」

ままならなさにため息をつこうとした途端にふと思い出したことがあって、俺は視線をさまよわせた。
確か、制服のポケットに突っ込んでいたはずだ。ベッドにダイブしたりごろごろ転がったりしててもゴツゴツしなかったってことは、そのへんに落ちてる確率が高い。

「そこかよ」

ベッドの上から床を見下ろしたら、本当に落ちてた。カーペットを敷いてあるから、落ちたときの音も吸収されたんだと思う。
上半身をかがめて、転がっていた携帯を拾い上げた。
アドレス帳を開いて名前を探す。見慣れていない、むしろ目新しい漢字の並び。それも、当然だ。今日──正確にはついさっき、登録したばっかだから。

「…………」

しばらくアドレス帳の名前を眺めて逡巡してから、えいやっと心を決めてメール作成を選んで決定ボタンを押した。キーをポチポチ押してたいして長くもないメールを打ちながら、これでいいのか、おかしくないか、引かれたりしないかっていろいろ考える。

「……アホか、俺」

そこでやっと我に返って、俺は送信ボタンを押した。なんてことない、ごく普通のことしか書いてないメールが、電波に乗って飛んでいく。
たかがメール一通を送るだけなのに、なんでこんなうだうだしてるんだろう。緊張の度合いなら、いちばん最初に小西先輩へメールしたときのほうがたぶんひどかったと思う。
だけど、あのときはこんな風に躊躇はしなかった。

「あー……恥ずかしいのか。う……あー、うああ……」

そして、それの原因らしきものに思い当たってしまったら、今度は頭を抱えてのたうち回りたいくらいの羞恥心が襲ってきた。うおお、マジで穴があったら入りたい。

自分の影に遭遇したとき、俺はひとりじゃなかったから助かった。つまり、自分でも認めたくなくて心の奥底に沈めていた赤裸々なことを、助けてくれた奴──鳴上(とクマ)にもばっちり見られてるってことだ。

鳴上は、俺が忌み嫌ってた心の一部を見ても、ひとつも態度が変わらなかった。
それだけじゃない、影が立て板に水のごとく言い募る棘しかないような言葉に目をふさがれて、自分でもわからなくなっていた心を拾い上げてくれた。
好きだったんだろって、まるで当然のことのように、俺が抱いていた小西先輩への想いを肯定してくれた。影の言葉をすべて聞いても、俺がどんな情けないことを叫んでも、まったく揺さぶられたようには見えなかった。ただ純粋に、俺のことを心配してくれた。
勢い余ってぶん殴られたときは、なにかと思ったけどな。ありゃ痛かった。
影を殴ろうとしたのにうっかり間違えて俺まで殴っちまったらしいが、あれはあれで今考えると、おかげで目が覚めたとも思う。

まあ、それはいい。というか、そんなのも全部ひっくるめて、俺の嫌なところを余さず見られてるってところが問題だ。
鳴上がそれに少しも動じなかったからこそ、冷静になってみるとおそろしく恥ずかしい。必死に隠そうとしていた自分の負の部分を否定されずに「それもお前の一部だから」って受け入れてもらえるのって、こんなに嬉しくて、しかもこっ恥ずかしいものなのか。

でも、だからこそ、こいつとなら一緒に犯人探しができるって思った。
警察に言ったって、信じてもらえるわけがない。それどころか、嘘つき呼ばわりされるか頭がおかしいって思われるのがオチだ。
テレビの中の世界を知らないまま、山野アナと小西先輩をテレビの中に放り込んだ犯人を見つけられるとは思えない。一緒にあの世界に入って、影の暴走を目の当たりにした鳴上だからこそ、信じられる。

──それ以上に、俺はただ嬉しかったんだろうけど。上っ面だけを取り繕う必要なんてない相手に出会えたことが。
信頼するなとか、そっちのほうが無理だ。

「なんか、友達少ないヤツがやっと友達できて浮かれてるみてー……」

あながち間違ってないところがなんとも言い難い。
自分のガッカリさに思わずため息をつくのとほぼ同時に、手にしたままだった携帯が音を立てた。メールの着信音だ。
慌てて確認してみれば、受信フォルダの中に未開封メールが一通増えている。差出人欄に表示されている名前は、『鳴上』。

つい数分前に、俺がメールを送った相手だ。

『こっちこそよろしく。
 眠れないのか?』

返ってきたメールに書かれていた内容は、それだけだ。
だけど、俺がメールで本当に主張したかったことをちゃんとくみ取ってくれていた。偶然かもしれないっていうか、たぶん偶然なんだろうけど、そのことにびっくりだ。

あれだけ悩んだワリにはアドレス教えてもらったから試しにメールしてみたとか、これからよろしくとかほんとに当たり障りのないことだけで、メールしてまで言いたかったことはなにひとつ書けてなかったのに、短いその一言は返事に含まれている。しかも、けっこうストレートに。
ずばり現状を言い当てられたことで、俺も開き直ったのかもしれない。鳴上のメールに続けた返信は、さっき送った内容とは比べものにならないほど積極的だった。

──アタリ。疲れてんのに眠れないんだよな。なんか落ち着かなくてさ。もう飯食った?時間平気なら電話してもいい?

まあ、つまりこれが言いたかったわけだ、ほんとは。

なんでかは、俺にもわからない。ただ、あいつの声が聞きたかった。口数が多いわけじゃないし、多いどころが少ないっていうか必要最低限のことしか喋らないし、ジュネスのフードコートでだってほとんど里中と俺しか喋ってなかった気もするんだが、ぽつっとたまに口にしてる一言に妙なインパクトがある。
少ない言葉に宿る強さで、流れを引っ張っていってくれるような気がした。鳴上の声が聞きたくなったのは、だからなのかもしれない。

「あー……でも、いきなりすぎたか……?」

勢いのままにメールを返してから、はたと我に返った。
明確な用事があればこんなことぐだぐだ考えないんだけど、今日のはちょっと違う。どう考えたって俺のわがままみたいなもんだし、それに相手はどう見ても人見知りだ。里中に意味なく電話して、下ネタかますのとはわけが違う。
いくら非常事態に巻き込まれて一気に距離が近づいたって言っても知り合ってまだ三日くらいだし、顔を合わせてればともかく電話とか警戒されたらどうしよう。
いや、警戒っていうのもおかしいけど、もし引かれたらちょっとショックだ。そんなウザイこと考えてる俺自身がいちばんショックかもしれない。

そんなこと考えて頭を抱えてたら、音が響いた。

「え」

携帯が、着信を告げている。メールじゃない。この音は、通話だ。
さっきよりも慌てて画面を見たら、そこにはまたしても鳴上の名前が表示されていた。見間違いじゃない。

「ちょ、ま」

電話していいか、とは聞いた。OKが出たら、こっちから電話するつもりだった。
……まさか、向こうからかけてきてくれるとは思わなかった。

「も、もしもし? 鳴上?」

着信ボタンを押して、舌を噛まないように注意しながら相手の名前を呼んでみる。焦りすぎたのか、一度着信ボタンを押し損ねたのは秘密だ。

『ああ。どうした?』

携帯を通して聞こえてきた鳴上の声は、やっぱり落ち着いている。途端に、妙にすわり悪くとっちらかっていた心の中のあれこれが、すっと引いていった。見事だ。

どうやら俺にとってこいつの声は、精神安定剤のようなモノらしい。なんてこった。理由もわからず鳴上の声を聞きたいと思ってたってことは、無意識のうちに俺はそれを悟っていたということだ。よけいに、どうなんだ。
やっぱり、これも刷り込みの一種なんだろうか。テレビの中で自分の影に追い詰められて恐慌状態に陥っていた俺を落ち着かせたのも、結局はこの声だった。だから、俺の頭が勝手に覚えたのかもしれない。
あのときは強烈な一撃もオマケでついてたが、あれはあくまでも間違いらしいので深くは突っ込まないでおく。
今、こうやって鳴上が電話してきてくれたんだから、それに甘えることにした。

「や……なんか、目つぶってもなんか寝れなくてさ。なんでもいいから喋ってくんねえ?」
『え。なんでも?』
「なんでも」
『……難易度高い』

ぱちぱちと何度か猫みたいなアーモンド型の目を瞬かせてから、困ったように眉を寄せている姿が見えるようだ。
想像してみたら、予想以上におかしかった。

「ははっ、かもな!」
『無茶言うな』
「だよな」

かなり無茶な要求だってのは、言ってる俺にもわかってる。勝手に喋ってるから聞いててくれって話ならたぶんなんの問題もなくうなずいてくれるんだろうし、鳴上としても難しくないんだろうけど、今俺が欲しいのはそっちじゃない。

『話って、なにを……え、と……あー……』

そして、鳴上はやっぱりどこまでも人が良かった。あんなにあっさり、クマのお願いを聞き入れてしまうくらいだ。そんなの、最初からわかってたのかもしれない。
無茶言うなとぼやきながらも、俺の要望を叶えようとしてくれている。脳内の逡巡や葛藤がそのまま口から漏れているような呟きはまったく話の体裁を保っていないが、いつもだったら無言で悩んでるだろうに声に出してくれたことそのものが嬉しかった。

自然と、頬が緩む。

「ははっ」
『……なんだ?』
「鳴上の独り言が面白い」
『おい』

回線の向こうから文句を言いたげな反応が返ってきたけど、怒ったようにも機嫌を損ねたようにも聞こえなかった。

『いいけど』

それどころが、どこか安堵したように聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。
もし本当に安堵したのだとしたら、鳴上は一体何にホッとしたんだろう?

『あ……そういえば』
「ん?」

そんなことを考えていたら、鳴上の声の調子が変わった。
話せそうな話題を見つけて今度こそ安心した、そんな感じだ。少し、惜しく感じる。

なんでそんなことを思ったのかは、わからない。
──声が聞けるなら、どっちだっていいはずなのに。

『さっき、天城がテレビに出てた』
「え、そーなん? なんか大変そうだな、あそこも」
『ああ』

山野アナが殺される前に泊まってたとかで、天城屋旅館の周辺は今大騒ぎだ。ニュースを見たわけじゃないが、あちこちで噂されている。テレビに取り上げられるくらいなら、たぶんあの噂も嘘じゃないんだろう。
天城とは特に親しいわけでもない。ただ、里中がいつも心配してるし、これ以上天城がめんどくさいことに巻き込まれなければいいとは思ってる。

『あと、花村に聞きたいことが』
「お?」
『弁当半額セールって何時から?』
「へ?」

かと思えば、急に話題が変わった。
弁当半額セールってことは、買うんだろうか。でも、普通タイムセールってやつは夕方以降にやるモノで、次の日の昼飯用にしてはちょっと時間が空きすぎやしないか。
それとも、もしかして夜食用? こいつガタイいいし、けっこう食うのかも。

『ジュネスの』
「あー、えっとな」

気づけば、じわじわと鳴上の発する言葉の長さが増えている。それも、なんだか嬉しい。
しばらくの間、鳴上の思いつきであっちこっちにぽんぽんと脈絡なくすっ飛んでいく話題をベッドに寝っ転がったまま追いかけていたら、そのうち全身がまったりしてきた。
身体だけじゃない、頭もまったりしてる。なんてことない、それこそ明日学校で話せばいいんじゃねえのってくだらない話がほとんどだから、会話には全然困らない。
……たぶん、疲れてるのに落ち着かなくて眠れないって言った俺のために、頭使わなくていいようなそんな話題ばっか探してくれたんだろうなって、それもわかった。

『花村?』
「あー……うん、なにー……?」

だんだん間延びしていく俺の語尾と微妙になってきたろれつに気づいたんだろう。
鳴上が、小さく笑うのが聞こえた。

『寝れそうか?』
「かもー。すんごい、ほわーっとした気分になってるー……」
『そうか。なら、よかった』

耳のすぐそばで聞こえる鳴上の声が、心地良い。
そういえば、鳴上は影と遭遇していない。なのに、あいつは最初からペルソナを使いこなしていた。
つまり、あいつには抑圧してきた心の影みたいなものがないってことなんだろうか。発する言葉は少ないし、都会から転校してきたっていうのにまったく人慣れてない感じだけど、たしかに裏みたいなものはなさそうに見える。おとなしいのかと思えば妙なところで変な度胸があって、ちょっと不思議なことが起こったくらいじゃ動じない。

変なヤツだと思う。でも、それ以上に、なぜか安心する。
存在を認めたとはいえ、まだ受け入れることなんてできてない自分の影に平静を失っていた心が、凪いでいく。

『おやすみ』

電話の向こうで、鳴上が呟くのが聞こえた。気のせいか、今まででいちばん優しい声に聞こえる。
俺の単なる願望かもしれない。でも、それでもいい。

「おう、おやすみ!」

そのおかげで、夢も見ずにぐっすり眠れそうだ。

──マヨナカテレビの時間まで。