振り返れば奴がいる

青年の憂鬱

「……あの、なにしてるんです?」
『なに、気にする必要はないよ。人の子よ』
「気になりますから、普通」

八十稲羽を離れて実家に戻ってきてからというもの、彼にはひとつ悩みがある。
原因は、なんとなく察することができた。だが、その理屈はさっぱりわからない。
なにがどうしてそうなった。声を大にして、そう言いたい。
──が、口にしてみたところでなんの効果もなく、『気にする必要はない』であっさりスルーされてしまった場合、どうすればいいのか。

(どうにもできないな)

答えは、あっさり出た。正確には、もう何度となくそんな答えを出しては、あきらめている。
そう、あきらめるしかない。なにしろ、相手には実体すらないのだから。

『ふむ。そうは見えなかったというのに、君は意外と繊細だったのだね』
「繊細とかそういう問題じゃないです」
『そうなのかい?』
「そうですよ。ほんとに繊細だったら、今頃叫び声上げて部屋飛び出して、そのまま帰ってきませんから」
『なるほど……』

長い袖を揺らしながら真顔で首を傾げるその姿に、彼は深いため息をつく。
端から常識なんてものを無視した存在であることは、最初からわかっていた。そんなの今さらだ。
イザナミ、そして伊邪那美大神と名乗っていた彼女(たぶん)は、その名の通り神に近い存在なのだろう。そんな存在をテレビの中でとはいえ倒したのは、間違いなく彼だ。
そう、間違いなく倒した。なかなかインパクトのある外見だった彼女の身体は崩れ去り、『人の子よ、見事なり』と言い残して消えたはず、なのだが。
……どうしてそのイザナミが、現在進行形で自分の部屋に棲み着いているのかが、まったくもってわからない。
しかも、半透明の姿で。
とりあえず、どう見ても骸骨に近い本来の姿ではなく、最初にガソリンスタンドで邂逅したときのかなり人に近い姿をしてくれているのが、せめてもの救いか。

「で、なんでここにすっかり居着いてるんです?」
『君以外には私の姿も見えないはずだから、特に問題はないと思うよ?』
「だからそういう問題じゃないんですってば」

わざとなのか単にボケているだけなのかわからないが、とにかく困ったことに会話が成り立たない。

「…………」
『ふむ』

ため息もつけずにそのまま固まっていると、なぜか小さく頷いたイザナミが居住まいを正した。
そろそろ会話することそのものに疲れてきたのを、もしかしたらイザナミも察してくれたのかもしれない。

『人の世界は、人の手に任せる。そう、約束しただろう?』
「しましたね」
『だから、特に手を出すつもりはないのだけれどね。私は、君が気に入ったのですよ』
「……はい?」
『なので、君がこの世界を去るまでは守護霊の真似事などをしてみようかと。……いえ、守護神になるのでしょうか?』
「…………え、ちょ??」
『なあに、邪魔はしないよ。君は君らしく、人としての生を謳歌すればいい』
「…………」

ただ、説明されたその内容は、それこそあ然呆然とするしかないシロモノだったわけだが。
もう、なんと言えばいいのかわからない。ツッコミが追いつかない。
そもそも、ツッコミ体質ではないのだ。こんなとき、どうすればいいのか。

(……陽介、助けろ……!!)

祈るように、願う。
流れるようにツッコミを繰り出す親友兼相棒がこれほど恋しくなったのは、きっとこちらに戻ってきてから初めてだった。