良薬口に苦し



「……なんなわけ、一体?」
「さあ……?」

首まできっちり毛布をかけられ、起き上がれないようにされた状態で枕に頭を乗せたまま不思議そうに首をひねった相棒の顔は、ほんのり赤くなっていた。いざ触ってみれば、じわりと熱を伝えてくる。

「つまり、健康だってことじゃないのか?」
「んなワケねえだろ」

虎視眈々と隙をうかがっているそいつの肩を、もう一度念のために押しておいた。もちろん、起き上がらせないためだ。
三十八度ないから大丈夫って、ドヤ顔で主張するその理屈が俺、花村陽介にはわからない。さっき熱計ったら、三十七度九分だったっつーの。

あとちょっとで三十八度になるって計算が、なんでできないのかが不思議だ。少なくともこいつの頭のデキは、俺より格段によかった。数学なんて、それこそ比べものにならなかったはずだ。小学生レベルの足し算ができないとか、ありえない。
ということは、最初からそんなことわかってて、それでもあえて無視していると、まあそんなところか。三十七度九分を三十八度はないから平気だってゴリ押ししようとするとか、どこの小学生かっての。
いやでも、よく考えたらこいつは前からそんな感じだった。どっちかといえば大人っぽいしクールだし常に穏やかだし、誰が見てもしっかりしてるって言われるタイプのくせに、俺にだけはしょっちゅうだだっ子モードが発動している。

とりあえず、それはいい。逆に、今さらそれをやめられても困るっていうか、そうなったらあまりにも物足りなさすぎる。俺にだけ、まるで子どもみたいなわがままを言うとか、そんなのこれ以上ないくらいの特別扱いだ。喜ばないわけがない。
ただ、そのだだっ子のわがままを素直に聞いてやるかどうかは、また別問題なわけだ。

「いいから寝ろ。起きるな。寝とけ。つーか、薬飲まないで治すって豪語した以上、おとなしくしろ」
「じゃあ、薬飲む」
「大却下!」
「えー」

恨みがましい視線で見上げられても、却下なものは却下だ。というか、それはできれば三十分前に言ってほしかった。そうしてくれれば、俺だってあんな暴挙に出たりしなかったのに。

「陽介がひどい。せっかく薬飲む気になったのに、ダメだって言う」
「……お前さ。それ、絶対に薬飲まなくてもいい状態になったってわかってて言ってるだろ?」

精一杯のジト目で見下ろせば、見慣れた枕に広がっていた砂色の髪が、わずかに動きを見せた。しっかり首元までガードしていた毛布を、もそもそと口元まで引っ張り上げている。心持ち、首もすくめているみたいだった。

「バレたか」
「バレるわ!」
「まあ、落ち着け、陽介」
「さっきから俺を落ち着かなくさせてるのは、どこのどちらさんでしたっけね……!?」

横になっているからか、長めの前髪が流れてめずらしく全開になっている額に、うりうりと指を突きつけてやる。もちろん、そんなに力は入っていない。
くすぐったかったのか、髪と同じ砂色の瞳がほんのわずか細められた。それを目にしてから、改めて前髪をかき分けて額に手を当て直す。
触れた手のひらから伝わってくる体温は、やはりいつも以上に熱かった。

「陽介の手、冷たくて気持ちいい」
「……そりゃ、お前、熱あるからな」

気持ちよさそうに目を閉じる相棒の額から髪へと、指を滑らせる。頭を撫でてやったら、もっと撫でろと言わんばかりに頭をすり寄せてきた。

大の大人っていうか紛うことなく成人男子なのに、背の高さに至っては俺よりも高いのに、そんな仕草が妙にかわいく感じられてしまう。冷静に考えればかわいいわけがないのに、それでも本能的にかわいいと感じてしまうのは、もうどうしようもないことなのかもしれなかった。

「熱、つらいだろ?」

頭を撫でつつそう声をかければ、そいつは目を閉じたまま首を左右に振る。こんなところは、相変わらず強情だ。

「そんなことない」
「嘘つけ」

もともと、こいつの平熱は低い。三十七度九分は微熱のカテゴリだと言い張れなくもないとはいえ、平熱との差を考えればかなりの高熱だとも言えた。急に体温が上がれば、どうしたって身体はしんどくなる。
発熱は身体の正しい免疫反応であり、必要があって熱を出しているんだから薬で無理に下げるのはよくないと、こいつはそう主張した。たとえ熱があろうと、こいつの口が達者なのは変わらない。

家庭の医学に詳しくない俺は一応そのへん軽く調べてみて(ネットというのは本当に便利だ)、その主張が間違っていないことを確認した上で、薬の世話にはならないことに決めたのだった。ただまあ、こいつの本音はたぶん、薬を飲むのが嫌なだけだったんだろうとは思う。

まあ、ぶっちゃけそれはいい。薬を飲まずに治すんだとおとなしく寝ててくれるなら、それでなんら問題はなかった。
だが、そうは問屋が卸さないというか。平熱よりも二度は高い熱を出しているというのに、当の病人はやけに元気だった。というか、まったくじっとしていてくれなかった。薬を飲む気がないならさっさと寝ろ安静にしろと布団の中に押し込んだはずなのに、隙あらば脱出しようとする。

本気で、どこのお子さまだ。幼稚園児か、なんてブツブツ文句を吐きながらこいつを見張っていた俺は、そこでふと思いついてしまったわけだ。じっとしていてくれない図体ばっかりでかいお子さまを、強制的におとなしくさせる方法を。

「……まあ、失敗したけどな」

浅知恵と言われてしまえばそれまでだが、まさかああなるなんて思わなかった。

ため息交じりの呟きが聞こえたのか、相棒が閉じていた目を開ける。ぱちりとゆっくり一度瞬いて、不思議そうに俺を見上げた。
発熱のせいなのか、それとも少しの間とはいえ目を閉じていたからなのか、日本人にしては色素の薄いその目はちょっとだけ潤んでいる。

それは、俺の心拍数をムダに上げる効果をいかんなく発揮してくれるから、本気で困った。いやいや、いくら俺がガッカリでも、病人相手にさかるとかありえないから。マジで。

「なにを?」
「お前をおとなしくさせるの」

心底不思議そうに問われたので、ため息をつきながらそんな風に答えておいた。嘘偽りない事実だ。
言いながら、頭を撫でていた手を移動させて、開いたばかりの砂色の目を覆う。俺の手に覆われた状態でぱちぱちと瞬きをしたみたいで、動いたまつげが手のひらをくすぐった。なんだか、こそばゆい。

「えー? 今、おとなしくしてるぞ」
「……そういやそうだな」

たしかに、何度も肩を押さえて起き上がれないようにしていたときから比べれば、おとなしくしているような気もする。さすがに、あきらめたんだろうか。
というか、一応病人だっていう自覚が芽生えたんだろうか。風邪だって、立派な病気だ。

「陽介の手が気持ちいいから」
「そか?」

またしても手のひらに擦り寄られて、なんだか幸せな気分を味わった。いつもより熱っぽいのが、不思議な感覚ではあるけど。

「陽介がこうやっててくれると、嬉しい」

くっついてていいなら、時も場所も選ばず喜んで、と言いたい。これは、俺の偽らざる本音だ。

こいつは、あんまり細かいことを気にしない。だから人前でくっついてても文句を言われたことは一度もないし、逆に臆面なさすぎるって俺が叫びたくなるようなことを口にしたりしてるけど、さすがに公衆の面前では限界ってものがある。いくら俺だって、一応そのへんは考えてる。

だから、俺たちしかいないこの家では、そういう気遣いをしなくていいっていうのが、本当に嬉しい。
──こいつも、俺と同じように嬉しく思ってくれてるって事実も、この上なく俺を幸せにさせた。風邪ひいて寝込んでるっていうこの状態を歓迎するわけじゃないけど、そんな状況でもどこか幸せを感じられるっていうのは、やっぱり相当恵まれてる証拠なんだってことはわかる。

「にしてもなあ……やっぱり、納得いかねえ」
「なんで?」
「お前、なんで酔ってないの?」
「……さあ?」

そして、冒頭に戻るわけだ。

じつは少し前、熱があるっていうのにじっとしてないこいつをなんとかおとなしくさせようとして、俺は勝負に出た。いや、べつにそんなとんでもないことをしようとしたわけじゃない。単に、酒を飲ませようとしただけだ。

こいつは、そりゃもうびっくりするほど酒に弱い。さらに、酒癖が悪い。

その弱さときたら、本気でとんでもなかった。たかがビールの一口や二口で、あっさりと記憶がふっとぶほどだ。そして記憶をふっとばしたまま、誰彼構わずそりゃあもう盛大に懐く。正確には、すぐ近くにいる人間を相棒兼親友兼同居人兼恋人(ここまでこいつの特別を占有しておいてなお、まだなにか独占できるものはないかと探している俺の執着心は相当とんでもないモノだと思う。自覚はある)の俺と間違える。そうなると抱きつくだけじゃ留まらなくなるので、本気で顔が青くなるわけだ。もちろん、俺が。

うちで飲んでいてそうなるなら特に問題もないし、俺としては役得なことになるとはいいとしても、それを他でやられたらたまらない。ヤキモチを妬く、なんてかわいいものでおさまらない自信がある。実際おさまらなかった前科があるし、とにかく外では酒を飲まないように何度もお願いしていた。
だが、酒に弱く、しかも酒癖も悪いのに酒好きだったりする相棒は、しばらくの間そのあたりの切実さを理解していなかった。記憶がふっとぶので、酒を飲んだ自分がなにをしているか、まったくと言っていいほどわかっていなかったからだろう。

まあ、うっかり俺がヤキモチを妬くじゃすまない前科を作ったときにそこは察してくれたようで、それ以来は俺のいないところで酒を飲まないことを約束してくれたわけだが、とりあえず今はそれはいい。

とにかく、こいつは酒を飲ませればよけいなことを考えなくなる。それはもうみごとなくらいに、俺のことで頭がいっぱいになってくれる。ノロケとか言ってくれるな、本当にそうなんだから仕方がない。

というわけで、薬を飲もうともしないうえに隙を見ては布団から脱出しようとする相棒をおとなしくさせるために、俺はたまたま家にあった日本酒を飲ませることにしたのだ。アルコール度は低めとはいえビールよりは高く、どっちかといえば女の子が好きそうな甘酸っぱい味のそれは、数日前に遊びに来たりせと直斗が持ち込んだ土産だった。美味いけど、食事中に飲むにはちょっと甘いかもしれない。

幸い、布団に押し込む前に軽くとはいえ飯は食わせていたので、飲ませるのに躊躇する必要もなかった。俺に酒が入ったグラスを差し出された相棒は、めずらしいこともあるものだと目を丸くしながらも軽々と飲み干して──なのに、まったく変化がない。

「俺、酒に強くなったのかな?」

俺の手で目を覆われたまま、相棒が首を傾げる。本気でそう思っているわけじゃないだろうけど、それをスルーするだけの忍耐力は俺に備わっていなかった。力いっぱい、ツッコミを入れる。

「んなワケねえだろ。りせと直斗の前でとんでもない酒癖さらしたの、誰だよ。あれ、一週間も前の話じゃねえぞ」
「覚えてないしなー」
「ですよねー」

そのとき飲んだのも、さっき飲ませた酒と同じだ。だから酒に強くなったとかありえないし、甘い酒なら大丈夫、ということもありえない。
可能性というか、あのときと違うのはただひとつ。
こいつが、熱を出しているという事実だ。

「……お前、熱出してたら酒飲んでも酔わねえの?」

尋ねてみたら、またしても俺の手の下で相棒がぱちりと瞬きをした。

続いて、今まで布団の中におさまっていたいつもより熱い手が、相棒の目を覆っていた俺の手をつかむ。手がどかされて、猫みたいな目がふたたび現れた。

そして、なぜかそのまま手を握り込まれる。さっきも言っていたけど、俺の手が冷たくて気持ちがいいのかもしれない。
こんなの、アイスノンとか冷えぴたがわりだってわかっているのに、なぜかどうしようもなく嬉しくなるのはどうしてなんだろう。

今さらか。どうしようもないか。

「あ、なるほど。その可能性があったか。便利だな」
「どこがだよ」

ただまあ、こいつにはそんな俺の繊細っていうかむしろ乙女かって言いたくなるような感慨は、まったく伝わっていないようだった。
ぶっちゃけ、伝わられても困るからいいんだが。こんな乙女っぷり、できることならこいつには知られたくない。とっくの昔にバレてると思うから今さらではあるんだけど、こう、男として。
……好きなヤツには、いつだって可能な限りカッコよく見られたいものなんだ。俺の情けないところなんてとっくの昔に全部知られている仲で、だからこそ一緒にいて楽だし気負わないし、誰よりも俺のことをわかってくれてるって安心もするわけだけど、それでもやっぱりそんな夢は見たくなる。ちゃんと夢だってわかってるんだから、そこは放っておいてほしい。

「うっかり酒飲んでも、陽介と誰かを間違えなくてすむだろ?」

とにかく、そいつは「どうだ!」と言わんばかりの表情で、そんなことを言ってくれる。
その気持ちは嬉しい気はするものの、やっぱりツッコミどころが満載だった。今さらかもしれない。

普段は誰もが認める冷静沈着かつ穏やかで優しい超人なのに、なんで俺の前ではこんなにツッコミどころ満載なんだ。罠か。罠なのか。
その罠に、喜んでハマりに行ってる俺も俺だ。

「や、頼むから外で飲まないで。つか、熱があるときに外うろうろしないで!」
「残念」
「うわっ!?」

さほど残念そうに見えない顔で笑いながら、なぜか相棒が突然俺の腕を強く引っ張った。
ぐらりとバランスを崩して、そのまま横になっているそいつの上にダイブしそうになる。さすがにそれはまずいと、もう片方の手をベッドの空いている場所について、とっさに体重を支えた。

「ふう……」
「だめ」
「わあああっ!?」

なのに、その手をよりによって相棒に払われる。結局はそのまま、そいつの上にうつぶせで倒れ込むことになった。
一体、どういうことだ。いくらなんでも、病人を下敷きにする趣味はない。
こいつにくっついてられるのは至福だけど、さすがにそれはない。

「ちょ、なに!?」
「いや、今思ったんだけどな。運動して汗かいたら、治るかもしれないなって」

しかも耳に飛び込んできたのは、そんな意味のわからないたわごとだ。たわごとってことにしとく。
なんとか上半身を起こして、目を丸くしたまま相棒のほうへと向き直った。起き上がることもなく、未だおとなしく横になったままのそいつは、なんだかやたらと楽しそうだ。

そう、いたずらを思いついたときの顔。
それに、限りなく近いような気がする。

「……お前、もしかしてじつは酔ってんの?」

力の強さといい、表情の感じといい、それはないと思いつつも一応、確かめてみる。
周りの状況をきれいさっぱり無視して過剰に俺とのスキンシップを取りたがるのは、酔ったときのこいつの癖だ。こんなことも、普通にありえる。
ただ、それにしてはやけにしっかりしていた。いろんなことが。

「いや、酔ってないと思うぞ。頭しっかりしてるし、べつにぼんやりしてないし、このまま記憶がふっとぶ気もしないし」
「…………」

つまり、理性もなにもかもしっかりある状態での、意図的だということだ。

「だから、純粋なお誘い?」

そのわりには、言い出すことが斜め上にかっとんでいるわけだが。

「だーめ! お前、病人!」
「えー」

いや、だから、なんでそこで不満そうにされるのかがわからない。ガッカリでヘタレな自覚はあるけど、これは至って普通で良識的な判断のはずだ。
酔ってはいないかもしれないが、発熱のせいで判断力がどこかに出かけてしまってるらしい相棒の言い分より、よっぽどマトモだと思う。少なくとも、世間一般には受け入れてもらえる気がした。

なのにこの病人は、まったくもって変なところであきらめが悪かった。俺の腰のあたりに腕を回してきたと思ったら、ぐいぐいと引っ張ってくる。

「ちょ、なにしてんの!?」
「陽介を引きずり込もうとしてる」
「どこに!?」
「添い寝してもらおうかと」
「ちょ」
「ほら、足こっち」
「うわあっ!!」

そして気づけば、すっかり布団の中に引っ張りこまれていた。これじゃあ、本当に添い寝状態だ。
ごく間近、至近距離に相棒の顔がある。
もうすっかり見慣れているし、この距離だって慣れているはずなのに心臓が高鳴るのは、きっと条件反射のせいだと思いたい。

あとは──やっぱり、妙にうるんで見えるこいつの目のせいだと思う。
どうしてくれよう。発熱状態って、ヤバイ。

「つかもー、安静にしろよ!!」
「してるぞ? 陽介の言うとおり、布団から出てないだろ。ちゃんと、おとなしくベッドで寝てる」
「だからって、俺引っ張りこんでどーすんの!」
「ひとりで寝ててもつまらないからな」

センセイ、そういう問題なんでしょうか。
いや、たぶんそれをこいつに聞いてみたところで、きっとなんの意味もないんだろう。

「風邪っぴきがなにゼータク言ってんだよ……」

とりあえず、俺が一緒にこうやって添い寝してればおとなしくなるっていうなら、それはそれでいいのかもしれない。
あきらめ気分で、ため息をつく。今日やらなければいけないことはもうないので、このままこいつに付き合って惰眠をむさぼってもべつに悪くはない。やらなきゃいけないレポートがあった気もするが、提出期限はまだ先だ。

どうせこいつが寝込んでる間は、俺のことだからレポートどころじゃないだろう。べつにレポートをサボる口実にしてるわけじゃなくて、俺の本能が絶対に相棒のことを優先してしまう。それは、この数年で嫌というほど身に染みていた。
つまり、しばらく添い寝するしかないってことだ。布団の中に引きずり込まれたときに、自分の身体の下敷きになっていた腕を引っぱり出してから、なだめるように相棒の頬を撫でる。

──楽しそうに、笑われた。

「じゃあ、せめて陽介にうつして治すっていうのは、どうだ?」

しかも、続いて飛び出してきたのはそんな言葉だ。

「どうだ? じゃねえよ。俺まで風邪ひいてどーすんだよ、詰むだろ」
「陽介が風邪でぶっ倒れる頃には、俺が完治してるから大丈夫」
「そ、そっか……じゃなくってえええええ」

一体なにが大丈夫なのか、俺にはさっぱりわからなかった。ただ相棒のドヤ顔は妙に自信ありげで、うっかり流されそうになったことだけは確かだ。
すぐそこ、それこそ一ミリも離れていない場所に、相棒の唇がある。キス待ち顔ってこういうのを言うのかなって、頭の片隅でつい考えた。

「ちょっと待てえええ!」
「なんで?」

今にも触れ合いそうになっていたそれからなんとか距離を取ろうとしたら、またしても実力行使でそれを阻まれる。
背中に、がっちりと相棒の両手が回されていた。正面から思いっきり抱きつかれている状態だ。
完全に逃げ道を塞がれた状態、まさにそれかもしれない。

「というか、察しろ」
「……な、なにが?」

相棒の目には、とんでもない力がある。
色素こそ薄いが、その視線に宿る力はそれこそ薄いなんてものじゃない。武器だって言われても納得するくらいに、バカみたいに強かった。
日頃は伏せ気味なせいで、相棒の目は比較的細く見える。目付きが悪いと言われれば、それまでだ。

ただ、今はその目がぱっちりと開かれていて、きれいなアーモンド型をしている。
そんな目でじっと見つめられたら、それこそその視線に全身を絡め取られてしまう。
身体も思考も、身動きが取れない。もっとも、それを望んでもいるわけだが。

「ひとりじゃさみしいしつまらない。人肌が恋しい」
「……具合悪いときは人恋しくなるって言うしな。だから、やっぱ具合悪いんだって」
「そうじゃない。人肌が恋しい、なんて」

ぎゅっと抱きついてきた身体が、熱い。

「そんなの、陽介限定に決まってるだろ?」

さらに、上乗せして熱っぽく耳元でそんなことを囁かれたら、さすがにもうダメだと思う。
もう、降参してもいいと言ってくれ。いくらヘタレでガッカリでも、これに抗うのはつらい。

そう言い訳をしながら、俺も覚悟を決めて目の前の身体に腕を回した。耳元近くから、どこか満足そうな笑い声が聞こえてくる。
本気で、見えていたトラップっていうかイタズラに引っかかった気分だ。しかも、引っかかったところで嫌じゃないのが始末に負えない。

「や、も、お前さ……なに考えてんの?」
「え? 陽介のこと?」
「あのね!?」
「嘘じゃないぞ。言っただろ? 熱出てるし、具合悪いし、病人だから陽介が恋しい」
「病人の自覚、ないくせに……」
「さっきまでなかったけど、今自覚した」

どっちかって言えば、病人だっていう立場が有効に使えるから使うことにした、って感じだろう。これは絶対、間違ってないと思う。

「風邪、うつったらごめんな?」

そう言って首を傾げた相棒は、まったく、それこそこれっぽっちも、悪いとは思っていなさそうだった。

「……そんなの、望むところだっつの」

べつに、風邪をうつされたくないわけじゃない。ただなんというか、無茶をさせて風邪を長引かせるようなことはしたくないわけで。
キスだけなら、大丈夫。せいぜい、俺に風邪がうつるだけ。

そう、俺自身に言い聞かせながら。

──嬉しそうに擦り寄ってきた熱い身体になけなしの理性がぐらついて、その後どうなったかは、もう想像にお任せしたいと思う。
反省はしても後悔はできないんだから、結局のところはどうしようもないのかもしれない。



その数日後、すっかり元気になった相棒が、風邪をひいて寝込んだ俺の看病をすることになったのは、改めて言うまでもない。

「……っくしょん!」
「陽介は鼻風邪か。俺、鼻にも咳にもこなかったんだけどな」
「なんなんだ、一体……っ、は、はっくしょん!」
「大丈夫か? 明日あたり腹筋痛くなってそうだな、その勢い」
「くっそー……」
「くしゃみで肋骨折れることあるらしいから気をつけろよ、陽介」
「そこまで貧弱じゃねーよ!?」
「ははは」

世話かけて悪いな、とは思ったものの。
俺の看病をする相棒がなんだか妙に楽しそうだったので、そこはもう深く考えないことにした。持ちつ持たれつってやつだと思うことにする。

ただ、とりあえずこのくしゃみをなんとか落ち着かせないことには相棒にキスもできないので、本気出して風邪を治してやろうとは思った。

それはもう、切実に。