アニバーサリー



「ただい……のわっ!?」
「おかえり、陽介。待ってた」
 仕事を無理矢理定時に終わらせて、意地と根性で残業ナシを勝ち取った俺・花村陽介の帰宅を待ち構えていたのは、なぜかスーツを着用した親友兼相棒兼同居人の、それはもう全力全開のドヤ顔だった。
 いや、ドヤ顔はいい。というか、こいつのイマイチ意味のわからないドヤ顔は、とっくの昔に見慣れた。
 知り合った当初、およそ六年くらい前はこいつの表情筋もサボりがちでよく戸惑ったものの、今はそんな前提あったっけって感じでよく動く。ただ、他の連中には相変わらず表情と実際の感情がリンクしていないと文句を言われるらしいので、ひょっとしたらそうなるのは俺の前でだけという可能性もあった。
 ただ、そんなことを考えてしまうと条件反射的に顔がにやけてしまうので、あまり人前ではそっち方面に意識を持っていくわけにもいかなかった。そういった話を耳にするたび、必死になって崩れそうになる表情を保つわけだ。俺キモイってのは、自分がいちばんよくわかってる。放っておいてくれ。
 話がずれた。で、ドヤ顔を見慣れてるはずの俺が、なんで玄関の扉を引き開けた状態でかちーんと固まっているのか。真面目かつ涼やかに見える外見とは裏腹に、じつは好奇心旺盛すぎて見てくれに似合わないお茶目なことばっかり全力でやろうとするこいつの性分を、それはもう身に染みてよく知っている俺が、だ。
 つまり、そこが問題だった。なんで身に染みてるかなんて、そんなもの六年間なにかとその突拍子もない言動に振り回され続けてきたからに他ならない。
 相棒がしでかすお茶目な行動には悪意なんて最初からないし、どちらかといえば俺を楽しませたり喜ばせたりって方面のいたずらばっかりだったから、深刻にあれこれ考えたことはない。たぶん、一度もない。
 心臓に悪かったこともあったけど、その理由を聞けばそれこそ顔がにやけるようなことばっかりだった。俺、思った以上に相棒に愛されてるんだなって、何度感激したかしれない。
 そう、愛なんだ。親友で相棒で同居人だからってそこで愛とか持ち出すな同性だろって言われたらそれこそ乾いた笑いを浮かべるしかないんだけど、実際のところはそれだけじゃないんだから仕方がない。
 本当のことを言えば、同居じゃなくて同棲だ。単語の意味の違いを考えてもらえればすぐわかるように、じつは親友で相棒なだけでがなく、かれこれ数年越しの付き合いの恋人だったりする。
 正直なところ、こいつが恋人だなんてうらやましいだろうってあっちこっちで自慢して回りたい。ただ、さすがに正々堂々とそれをやったらいろいろとまずい気がして、今のところやったことはなかった。
 ただ、当の相棒本人はそれをやってみたところでしれっとした顔をして堂々と肯定してくれそうなので、やってみたいとかそんなことを口にしたことはない。そんなこと主張してみたが最後、俺がそれをやるよりも先に、あいつが実行する。賭けてもいい。なにしろ俺の親友兼相棒兼恋人の脳内辞書に、臆面という言葉は載っていないのだ。
 で、そんな俺の最愛の人物が、これ以上ないくらいの輝かしいドヤ顔を披露しつつ一体なにをしているのかと言えば。
「……な、なに? それ」
「見ればわかるだろ? 花束だ」
「わかるけど!!」
 なぜか、びっくりするくらいでかい花束を手にしていたからだ。しかも、肩に担ぐようにして。
 一体なんなんだ、そのポーズ。意図せずに周囲の人間をたらして歩くイケメンがやると、やけに様になるからやめてくれ。
「やっぱり、陽介だったらヒマワリかなって思って」
「や、意味わかんねえから。つーか、それは聞いてないから」
「ちなみに、かすみ草は六月の誕生花なんだぞ。本当は六月二十二日の誕生花にしたかったんだけどな、さすがにスイカズラとか花束にしてもあんまり映えないからやめた。花言葉は格好よかったんだけどな。あ、知ってるか? 愛の絆だって」
「ごめん、話についていけてない」
 世界でただひとり、俺にとっての特別を見事に全部かっさらっていった相棒が俺に差し出してきたのは、大輪のヒマワリと真っ白なかすみ草で作られた、とんでもなく大きな花束だった。
 こいつがいきなりこんなもの用意した理由は、わからなくもない。今日は六月二十二日、俺の二十三歳の誕生日だからだ。
 すでに「おめでとう」の言葉は日付が変わると同時にもらっていたし、誕生日だからこそのごほうびというわけでもないけど朝まで幸せな時間はすでに堪能させてもらってたわけで、俺はけっこうそれで満足していた。ただ、今花束を差し出してきている相棒に、今日は絶対残業しないで定時に帰ってこいと厳命されていたから、もしかして夕飯も俺の好物とか作ってくれるのかなってちょっと期待してたのは認める。
 でも、予想はそんなものだ。まさか、こんなばかでかい花束が出てくるとは思わなかった。
 しかも、なんでスーツなんて着てるんだ。こいつは職業柄、普段はスーツなんて着ることがない。いざ着てみれば俺よりよっぽど似合っててつい見惚れるわけだが、とにかく仕事から帰ってきたばっかりだからこんな格好をしているというわけじゃないのは確かだ。
「てか、なんでスーツ? それに、花束?」
 とりあえず疑問を率直に口にしてみたら、そいつは猫みたいなアーモンド型の目をぱちりと瞬かせた。
 その砂色の瞳は、なんで今さらそんなこと聞かれるのかわからない不思議、と語っている。頼むから、俺にもわかるように説明してほしい。
「え、だって、やっぱりプロポーズするときにはそれなりに体裁を整えるべきだろ?」
「へ?」
 ──そして、説明はしてもらえたわけだが。その内容そのものが理解の範疇を越えていた場合、一体どうすればいいんだろう。
「ぷ……ぷろ、ぽーず?」
「そう。ほら、花束持ってくれ。ちゃんと指輪も用意したんだぞ。陽介の誕生石のサンストーン、あっちこっちで探したんだ。大きいと使いにくいから、プレーンなリングに小さい石がついたやつな。サンストーンは太陽石とか日長石とも言われてるんだぞ。陽介の名前にぴったりだ」
「へ……あ、うん」
 とうとうと流れる説明を、呆然と聞く。つまりどういうことだと混乱する頭で超絶必死に考えて、やっと俺はひとつの結論にたどり着いた。
 というか、最初に答えを言われているのに、なんでさっさとそこにたどり着けなかったのかと自分で自分を問い詰めたい。
「というわけで、陽介。改めて、俺とけっこ……」
「ちょ、ちょおーっと待ったあああああ!!」
「もがもがもが」
 なので、とっさに片手で肝心要の言葉を言いかけた相棒の口を塞いだ。なにがなんでも、こいつにその先を言わせるわけにはいかないって思ったからだ。
 どう考えたって、俺から言うべき言葉だったから。
「ダメ! 言っちゃダメ!! 頼むから待って!」
「……おい、なんなんだ急に」
「だから待って! 言わないで!」
「……嫌なのか?」
「そうじゃなくってえええええ! そういうのは、できれば俺が! 俺から! 言いたいの!!」
「え?」
 ぱちぱちと、何度も目の前にある砂色の目が瞬きを繰り返す。それがおさまったら、今度はじっと見つめられた。たぶん、時間としては一瞬だったはずだ。
 でも、なぜかすごく長い時間が経ったような気がしたあとようやく、ふわりと目元がゆるむ。
 柔らかく、嬉しそうに、その表情がほどけた。
「……陽介から、言ってくれるんだ?」
「つーか、俺から言いたいの! なんつーの、日頃世話になってばっかだけど、でも、だからこそ……!」
「うん。じゃあ、どうぞ」
「え、あ、その……俺と、結婚してください……!」
「もちろん」
 ありったけの勇気をかき集めて、たぶん真っ赤な顔で告げる。そうしたら相棒は嬉しそうに笑って、花束を手に持ったまま俺の身体を抱き締めてくれた。
「陽介のこと、一生幸せにしてやる」
「お前がいてくれれば、間違いなく幸せだって」
 だから、俺も愛しい背中に腕を回す。
 もう、一生この手を離さないことを誓って。