ハロウィンの午後

「というわけで、Trick or Treat?」
「え、ちょ、ま、相棒?」

10月31日の昼ちょっとすぎ、たぶん午後1時頃。ジュネスの1Fフロアにふらりと現れた相棒は、人の顔を見るなりいきなりそんなことを言い出した。
今日はバイトがあるわけでもないから、こいつの脈絡があるのかないのかたまにわからない行動に付き合ってやっても、べつに特に問題はない。どっちかっつーと、こいつをひとりにしておくとなにをしでかすかわからないから、積極的に側で見張っておきたいというか。なにしろ、ちょっと油断するとひとりでシャドウ撲滅レアアイテム収集耐久レースとか始めかねないヤツだ。目が離せない。

とにかく、気持ち的にはそんな感じなんだが、なにを言ってるのかさっぱりわからないんじゃとっさにはどうにもできなかった。えーと、今こいつ、なんて言った? トリック??

「答えなし、つまりトリックってことか。よし、なら希望通り悪戯な」
「なんでそーなんの!?」

俺が頭を悩ませているうちに、相棒は勝手に結論を弾き出したようだ。なんか、ドヤ顔でこっちを見下ろしている。なんなの、そのものすごく得意げな顔。

とりあえず、こいつの悪戯とか冗談じゃなかった。なにされるかわかったもんじゃない。
興味があることには常に全力投球な俺の相棒は、遊びや悪戯にも本気を出す。否、むしろ遊びや悪戯のほうにより本気を出す。
勇気は振り切ってるし、ムダに頭いいし器用だし、常識は知っていても気にしない大海ばりの寛容さまで備えているせいで、度肝を抜くようなことを平然としでかしかねなかった。

「つーか、なんで急にそんな話!?」

悪戯とか言い出す前に、相棒がなにか言っていた気がする。まずは必死で、それを思い出そうとした。
トリ……なんとか?

「トリってなに!?」
「トリック・オア・トリート。今日、ハロウィンだろ」
「とりっく……? ハロウィン……あー……今日、31日か」
「うん」

説明されて、やっと納得した。そういえば、ジュネスの食品売り場にも、片隅にそんな特設コーナーがあった気がする。田舎すぎるせいか、あんまり盛り上がってはないが。

「ということだから、あきらめておとなしく悪戯されろ」

なんて、のんきなこと考えてる場合じゃなかった。気がついたらいつの間にか、無造作に手がこっちに向かって伸びてきている。
間違いなく100%面白がっているだろうに、相棒の表情はいつの間にか通常モードに戻っていた。これは絶対、ろくでもないことを企んでいる。

「待てーい! 飴ならあるぞ、のど飴!!」
「却下」

伸びてくる手をがしっと捕まえてなけなしの抵抗をしてみたら、あっさり却下された。でも、捕まえた手は特に抵抗する素振りも見せない。そのまま、俺に捕まえられている。
……もしかして、単に俺をからかって慌てさせたかっただけか?
その可能性も皆無じゃない気はする。

「安心しろって。他人様の前でできないような悪戯はしないから」
「そういう問題!? てか、他人様の前でできないよーなって」
「え、違った?」
「……や、その、えっと」

他人様の前でできないような悪戯のほうが興味あるとか、そういうことをここで堂々と言っちゃいけないんだろう、きっと。それくらいの良識は、俺にもある。
だから、それは無理矢理意識の外に追い出した。なんでそんな方向に意識がいったのか、それも深く考えちゃいけない気がした。
強引に思考を方向転換させて、行き着いた先はハロウィンだ。
そもそも、トリック・オア・トリートっていうのは子どもがやるもんじゃなかったか?

「つーか、お前にその権利があるなら、俺にだってある! というわけで、Trick or Treat!」
「ん、ハッピーハロウィン」

捕まえてなかった方の手をジャケットのポケットに突っ込んだ相棒が、そこから引っ張り出してきた紙の包みを俺の前でひらひらさせた。
まあ、聞かなくてもわかる。包みからふわりと漂ってきたのは、微かに甘い香り。
お菓子か、悪戯か。相棒はためらいもせず、俺にお菓子を差し出している。

「菜々子に作ったやつの残りだけど」
「そーだろーと思いました……」

こいつがいきなりハロウィンとか言い出したのも、おそらくは菜々子ちゃん絡みだろう。こいつの菜々子ちゃん最優先っぷりは、いっそ感心するほどだ。
まあ、この歳になっていきなりあんな可愛い妹が出来たら、そりゃあシスコン炸裂もするだろう。菜々子ちゃんはホントにいい子だし、気持ちはなんとなくわかるから、そこは一度もつついたことがない。

「まー、いっか。お前、菓子作りもやたらめったら上手いもんな……もらっとく」
「料理歴は短いんだけどなあ」
「元から手先が器用なんだろ」

差し出された包みを受け取って、ポケットにしまいこむ。今日の夜食はこれにしよう。
悪戯よりお菓子を取られたのは若干不満とはいえ、こいつが作る食べ物はマジで美味い。この機会を逃すのは、実際惜しかった。

いや、でも、悪戯の権利を得られなかったのも惜しい。ものすごい大物を取り逃がしたような気さえしてくる。

「あと、クマにせがまれたら、これやっとけ。クマのことだし、ハロウィンのこともどこからか聞きつけてきそうだしな。陽介、確実に餌食になるだろうし」

そんな俺の複雑な心中を知るよしもない相棒は、そう言ってもうひとつポケットから包みを取り出すと、ぽんと俺の手の上に乗せた。

え、なんでクマ。今、ここにいないのに。
ちなみにクマは、屋上でバイト中だ。

「……なに、クマにだけやけにサービスよくない?」
「お前がお菓子持ってなかったら困るだろ。陽介に悪戯していいのは俺だけなんだから」
「…………」

さらりとそんな主張をされると、どんな顔をしていいのかわからない。
というか、どういう意味なのかって問い質していいのかどうかもわからない。
たぶん、だけど。都合良く解釈していいんだよ、な……?

「……てか、お前ばっかずりぃよ。俺にも悪戯させろ」
「なんだ、そんなこと?」

どうにも解消できそうもない照れ3分の1、いいように振り回されているのになぜか幸せも感じている自分にげんなりする気持ち3分の1、どうしたって先手が取れないことにふてくされたい気分3分の1という微妙なバランスの心を抱えてそんな主張をしてみたら、相棒はじつに爽やかな笑顔を見せた。
本気で「そんなこと」って思ってるのがよくわかる。なんでそんな小さいことにこだわってるんだ、バカだなって言いたげだ。たぶん、本気でそう思ってる。
なぜなら、続いたセリフがとんでもなかったからだ。

「気にするな。お前の悪戯だったら、ハロウィン関係なくいつでも歓迎してやる」

だから、なんでそんなムダに漢らしいんだって、聞いてもいいですか。
今さらだけどな!

堂々と言い放った相棒の態度に頭を抱えながら、ここがジュネスの1Fで周りには不特定多数の人が何人もいることを、俺は心の底から恨めしく思ったのだった。


ちなみにその日の夜、菜々子ちゃんが突然熱出して、相棒は慌てに慌てたらしい。
純真な俺をからかうからそんな目に遭うんだって一瞬思った後に、菜々子ちゃんごめんって心の中で土下座して謝った。