テレビの中と外

自分でも認めたくない負の部分、ダメダメでどうしようもないコンプレックスの塊みたいな抑圧し続けていた部分を、自分以外の誰かにあっさり認めて受け入れてもらえたとしたら、さてどうするか。

そんなの、相手にとことんまで反発するか、逆に心を開いて懐くか、どっちかしか選べる道はないと思う。少なくとも、俺はそのどっちかしか考えつかなかった。
そんな俺が選んだ道は、後者だ。

稲羽に……ここに来てからずっと、『ジュネスの息子』という肩書きに振り回されていただけだった俺には、そもそも本心を漏らせる相手ってのがひとりもいなかった。小西先輩には憧れてたし、そりゃもう望みすら残せないほど完膚無きまでにフラれたことがしばらく尾を引きそうなくらいには好きだったけど、まさかそういう意味で好きな相手にそんなカッコ悪いところを見せられるわけもない。
だからって、親にも言えるわけがなかった。俺が微妙に孤立しているのは父親がジュネスの店長だからだって、まさかそんなこと言えるものか。
里中はジュネスのことなんか気にしないで気軽に接してくれるし仲も悪くないと思うが、あれでも一応は女だ。男女の友情は成立する、それはあんまり疑ってないものの、さすがにあんまりカッコ悪いところは見せたくない。それは男としてのプライドって言うより、なんていうか俺のどうでもいい意地だった。ジュネス関係なく接してきてくれるから、俺にしてはかなり素を出していた気はするが。

……まあ、あれだ。つまり、俺はどうせならとことんまで腹を割って話せる、誰よりも身近な友達が欲しかったわけだ。
そいつは、俺のいちばんみっともないところ、俺自身が無意識のうちに抑圧していて閉じこめていた自我ってやつをすでに知っている。しかも、嫌な顔ひとつせずに、それ込みで俺を受け入れてくれた。
ついでに命の恩人だ。もう、存在を否定するほうが難しい。

たとえば、水も食料もなくずっと砂漠をさまよっていた旅人の目の前に、いきなりオアシスが現れたらどうなる?
そんなの、警戒心なんてどこかに放り投げて、心ゆくまで水を飲むに決まってる。しかもそのオアシスが見るからにキレイで、水も澄んでて、魚までちゃんと泳いでて、水辺には草が生い茂って木には果物がたわわに実っていて、本当に心身共に癒される場所だったとしたら? もちろん、そこから動きたくなくなって当然だ。

俺にとって、そいつはそんなオアシスみたいな意味を持つ人間だった。

そいつが認めてくれたから、あっさりと受け入れてくれたから、俺はシャドウと化していたもうひとりの自分を受け入れることができた。あんなの、ひとりじゃ受け入れるなんて絶対に無理だ。
あんなどうしようもない部分があってもいい、誰かにそう言ってもらえたから、あれも自分だって認めることができたんだろう。いくら俺でも、それくらいはわかる。

だから、そいつと一緒に連続殺人事件の犯人を挙げることに決めて、里中と天城を助けて、ゴールデンウィークも何日か一緒に過ごして、他の日もちょくちょく遊んだりしてるうちに──俺はどんどん、そいつに傾倒していってる自分に気づいた。

最初は驚いたけど、あまり深くは考えなかった。大体、考えたってしょうがないと思ってた。
俺は生まれて初めてできた親友って存在の心地よさに、そりゃあもう浮かれていた。こんなこと言うのも相当こっ恥ずかしいとはいえ、事実なんだからこれまたしょうがない。

何よりも、一緒にいて楽だった。構える必要もなければ、装う必要もない。気負う必要がないから、ちゃんと頭だって働いた。よけいなこと考えずにすんだから、あいつに頼りっぱなしになったりすることもなかったはずだ。勝手にあいつのことを相棒なんて言い出したのは俺だけど、テレビの中ではそれなりにその言葉を実現できていたと思う。
いつだって先陣を切って戦おうとするあいつの背中を守るのは俺、そう自負していたし、その座を他の誰かに譲るつもりもなかった。まあ……勉強に関しては、かなり一方的に世話になるばっかりだったけど。というか、大して勉強してるような素振りも見せなかったくせになんで主席なんだ、あいつ。

あまりにも居心地がよくて、深く考えようともしなかった。大体、そもそも頭の中に、その可能性ってやつがなかったんだ。
だから、心は本能のおもむくまま、俺が無意識に望む方向へと傾いていった。

それが、かなり手遅れな域まで進行してることに気づいたのは──忘れもしない。
5月中旬を過ぎて……下旬に、差しかかった頃。



「うううう……」
「やけに疲れてるな」

自分でも気づかないうちに、俺は何か唸っていたらしい。隣を歩いていたそいつが、ぱちりと目を瞬かせて俺の顔をのぞき込んできた。
霧が出る日は、まだ遠い。早く先に進まないとって焦りはするものの、焦ったところでじつはいいことなんてなにひとつなかった。
万が一俺たちが失敗すれば、もうテレビの中に落とされた巽完二を救う方法はなくなってしまう。焦ったあげくにそんなことになるくらいなら、遠回りすることになったとしても万全の準備を整えて、確実に助け出せる道を選びたい。普段の俺だったら頭では納得して頷いても、絶対感情的には納得できなかったようなそんな方針だって、今回はすんなり受け入れることができた。自分より直情的で脊髄反射なヤツが周りにいると冷静になれるっていうのは、本当だ。里中に感謝するしかない。

まあ、そんなわけで、進軍ペースはそこまでしんどいわけじゃない。テレビから出てくればそりゃあ疲れるが、そんなのはいつものことだ。最初から、そうだった。
だから、今日が特別ハードだったわけじゃない。体力的なキツさでいったら、前に天城のとこでアイテム収集耐久レースやらされた時のほうが上だ。天城を助け出した後だったから4人がかりだったっていうのに、精も根も尽き果てる感じだった。遭遇するシャドウだってもう苦戦するようなレベルの相手じゃなかったっていうのにあんなに疲れたのは、ひとえに潜っていた時間の長さのせいだろう。

──なんだが。今日というかここ数日は、そんな肉体疲労を凌駕する要因があるわけで。

「あー……うん、まー……な。なんつーか……な。あそこ、精神的にこう、クるんだよ」
「ああ、サウナか?」
「うう」

そう、それに尽きる。
新たに出現した巽完二のダンジョンは、なぜか湯気の立ちこめるサウナだった。『熱気立つ大浴場』とかいう名称がついているらしいが、それがどうしたと毒づきたくなるくらい、ただのサウナだ。しかもだだっ広くて、悪趣味な。
そんなサウナの有様を思い出したのか、相棒が眉間に皺を寄せる。

「あそこ、やけに蒸し暑いからな。ただ暑いだけならともかく、あそこまで湿度が高ければそりゃ疲れるさ。それに、汗だくになるのが困る」
「は?」
「シャツの替え、増やしておかないとダメだな。毎日洗濯できるとは限らないし」
「や、そーじゃなくて」

……が、そいつはどうやら、まったく違うところに機嫌を損ねていたようだ。しかも聞く限りじゃ、微妙に主婦の感覚に片足を突っ込んでいる。

「違うのか?」

しかも否定したら、ものすごく不思議そうな表情で首を傾げられた。
おい相棒、お前それはちょっとどうなんだ。まっとうな高校生男子として、あそこに足を踏み入れといて感想はそれだけなのか。
なんというか、いろいろとありえない。つまり、俺があそこの奥に足を踏み入れなきゃならないことを嫌がってる理由もじつは、あんまりわかってもらえてないってことか?
……ものすごく、ありそうだ。

「確かにあそこ、あっちぃけど! イヤんなるほど蒸し蒸ししてっけど! 湿気ありすぎだけど! 俺が言いたいのはそーゆーことじゃなくてだな!」
「どういうことなんだ?」
「……えーと」

とは言っても、いざ自分の口で説明するとなると口が重くなってしまう。言いにくいというか、口ごもるしかないというか。

決して良くはないもののそこまで酷くもないはずの脳内を、必死で引っかき回して言葉を探す。
それじゃなくても、複雑なんだ。ヘタに直接的な言葉を使って、これ以上俺自身の精神にダメージを与えたくない。できれば俺の心にも優しい、それでいてこいつにもわかりやすい、そんな表現にここは助けを求めたい。

ただ、そうやってあがいてはみたものの結局、そんな都合のいいモノは俺の脳内から見つかったりしなかった。というか、最初から入ってなかったんだと思う。
しょうがないから、明確な単語だけを省くことにした。

「お前、キモくないのかよ?」

相棒が、これで理解してくれることを祈る。
態度がわざとらしくならないように、肩を並べているはずの歩調が乱れないように、とっさに全身へと気を配ったのは、無意識でのことじゃない。ちゃんと意識してのことだ。
そうやって、俺が一瞬とはいえ態度を取り繕ったことに、こいつは気づいていない……と、思う。

「ああ、そういうこと」

何回かぱちぱちと瞬きをしてから、やっと言いたいことがわかったとでも言いたげにうなずいた。瞬いて砂色の瞳が隠れた瞬間、伏せられたまつげが沈みかけた陽の光を受けて光ったように見えたのは、気のせいだと思いたい。
というか、そんなとこをしっかり自分の目に焼き付けている俺自身がどうなんだ。

「やっぱ……アレは、男としてないわ。ハート的に無理すぎる」
「んー、べつに?」
「い……っ!?」

なのに相棒はまたしても、俺の心をぐらつかせるようなことをあっさりと口にした。あまりのことにぎょっとして、まじまじと凝視してしまったそいつの顔に浮かんでいる表情は、いつもどおり。
やや半眼の、なまじ整っているせいで見ようによっては仏頂面に見えなくもない無表情に近いそれは、特に揺れているようにも見えない。
こんな顔をしていても、こいつは決して機嫌が悪いわけじゃなかった。これが、普通だから。

「そこまで驚くことか? 恋愛は自由だし、他人があれこれ口出す権利もないだろ」
「そりゃ、そーなんだけど」

そんな顔で、しかも穏やかな声でじつにごもっともなことを淡々と言われたら、何も反論なんかできやしない。どっちかって言えば俺がぎゃあぎゃあ騒ぎすぎてるってことくらい、俺自身にだってわかってる。

「それに」

ただ。

「あれは、巽のすべてじゃない。あいつがたったひとりで抱え込んで、抑えつけようとしている本当の悩みはあれじゃない」
「……まあ、な」

あのサウナが眼前に突きつけようとしている可能性を、俺はどうしても否定したいんだ。その可能性の正体すら、未だにつかめていないっていうのに。

そう、わかっている。ハッテン場を彷彿とさせるあのサウナに、過剰反応するほうがおかしいってことくらいは。いくら勘弁だって言ったって、自分に関係なければそこまで否定する気にはならない。近寄りたいとは思わないけど、俺に被害がなければどうだっていい。

それに俺だって、巽がそっち方面のヤツだって本気で思ってるわけじゃない。自分自身から出てきたシャドウだけじゃなくて、他のシャドウも見てきたからこそわかる。あれは相棒が今言ったとおり、抑圧した自我が変な風にねじれて暴走して、より受け入れがたい形を取っているだけだ。
確かに一部を担ってはいるけど、それを真に受けてはいけない。ましてや、あれが巽のすべてでなんかあるはずもない。確実に言えることは、あんな度肝を抜かれるようなモンが出てきちまうくらい、巽が深い悩みを抱えているということだけだ。
それは、わかっている。わかっているのに、なぜか心と頭が拒否反応を示す。

それはまるで、今にも見えようとしているそれに気づくまいと、そっちを見るまいと、俺の中の何かが必死に抵抗をしているようにも思えた。

何に対して抵抗してるかなんて、まったくわかっちゃいないのに。

「早く助けてやろうな、花村」

ぽん、と軽く肩を叩かれる。分厚い制服の生地とTシャツが間に挟まっているはずなのに、肩に乗せられた手のひらの熱がダイレクトに伝わってきたような気がした。
その熱が嫌だなんて、思わない。気持ち悪いとも思わない。思うはずがない。
これは、俺が隣に立ちたいと思った奴の熱だ。背中を守ってやりたい、背中を預けて欲しいと思った、相棒のもの。

「……おう」

……そう、相棒。相棒のものだ。なぜ、そんな今さらなことを、俺は自分自身に言い聞かせなきゃいけないんだろう。わかりきってることだし、なによりも俺がそうなりたいって強く望んだことなのに。

なんでそんなことしなくちゃいけないのか、少しは理解している。俺の中は今、ものすごくとっちらかっているからだろう。
巽を助け出すことができたら、少しはこのぐちゃぐちゃな心の中もすっきりするんだろうか。

そうだと、いい。ほんの少しでもいいからすっきりしたら、相棒にまた話を聞いてもらいたかった。
何を言いたいのかは、まだわからない。たぶん、今の俺の中はごたつきすぎていて、何をどうしたいのかもよくわかっていないんだ。

きっと俺はまだ、小西先輩のことにだってきちんと向き合えていない。きちんと向き合えていないことに、事件にかこつけて本当は逃げていただけだってことに、気づけただけマシなのかもしれない。
ただ、よくわからないものの、どうしてもこれだけは俺の中ではっきりさせないといけないんだって、強く思った。

もちろん、その理由なんてわからない。
ただ――俺は、きっと。

「まだ霧が出るまでは余裕あるけど、そこまでのんびりはしてられないな。今日はけっこうアイテムに恵まれたから明日全員分の装備を買い換えて、明後日……よし、明後日に全部片づけるぞ」
「りょーかい、相棒」

今、俺の横で真面目に巽の救出計画を練っているこいつ横に、堂々と立っていたいだけなんだ。
そして、たぶん。

「頼りにしてる、花村」
「任せろって!」

たまにでいいから、こうやって笑ってほしいんだと思う。ほんの少しだけ口の端を上げて、それ以上にほんの少しだけ目元を緩める、そんなささやかな笑みでもいいから。

その瞳に、信頼を覗かせて。
他の誰でもなく、俺の前で笑ってほしかった。