相棒と猫

「にゃあー」
「あ、ごめん。今日はなんもないんだ」

申し訳なさそうな顔をしてる相棒の足元にごろごろとすり寄ってきたのは、なんだか見慣れた感のある猫だった。
たぶん、堂島家の屋根にたむろってる連中のうちの一匹だ。こいつがあの家に来たばっかりの頃は猫なんていなかったのに、気づいたらすっかり猫だまりになっていた。

ここを猫だまりにした原因には、心当たりがある。いつのまにかしゃがみこんで、足元にじゃれついてる毛玉を嬉しそうに撫でているこいつだ。
エサがもらえなくても、猫としてはかまってもらえるだけでいいらしい。そして相棒は、猫にじゃれつかれているだけで幸せなようだ。こいつの顔はムダに整ってるので、こうやってたまに表情がゆるんでいると印象がやわらいで別人のような華やかさを見せる。

くそう、うらやましいな猫のやつ。相棒よ、俺もかまえ。

じつはこいつ、鮫川の土手にいる猫にも、たまに釣った魚をエサとしてやってるらしい。野良猫にエサやりたくなる気持ちはわかるんだが、実際にそれやっちまったら近所の人が迷惑すっからやめとけって何度言っても効果はなかった。
本人も頭じゃわかってるみたいだが、気になってしょうがないモンは仕方ないんだとめちゃめちゃ真剣かつ神妙な顔で言い訳してたので、もうそれ以来あれこれ言うのはやめた。答えは簡単、言ったところでムダだからだ。

ちなみに、堂島家に突如発生した猫だまりの猫たちは、野良のわりにはみんなきれいだったりする。オスメス問わずにものすごい勢いで増えたわりには、生まれたばかりの子猫とかもいない。
増やしてしまった手前、やっぱりこいつが面倒見てるんだろうか。えんえんといちゃついている相棒と猫を無言で眺めているのもちょっとばかし切なくなってきたので直接聞いてみたら、猫たちがすっかり居着いてしまったときに意を決して、獣医で避妊と去勢の手術は受けさせてきたらしい。

「おま、よくそんな金あったな」
「バイト代つぎ込んだ」
「……そーいやお前、バイトの鬼だったっけ……封筒貼りに翻訳に学童保育に病院清掃に家庭教師? どんだけだよ」
「陽介ほどじゃないけど」
「俺は薄給でこき使われてるだけですからー!」

親がスーパーの店長だと、そういうめんどくさいこともしなきゃいけない(嫌いじゃないけど)。それに最近バイトに入ってる日数が多いのは、相棒がなにかと忙しくしてて俺に構ってくれないからだ。こいつが暇なら、俺だって時給400円しかもらえないようなバイトは必要最小限にしか入れない。
っていうか俺、どんだけこいつにかまってほしいんだ。今さらか。気づくの遅すぎか。
そんな自分がうざいって心の底から思うが、抑えつけてもロクなことにならないのは身をもって実感してしまったので、適度に発散しとくことにした。

「ちぇ……いいな、こいつら。お前に面倒見てもらえて」

幸い、相棒は俺の本音がだだもれてても気にしないでいてくれる。本当に、持つべきは心が海のように広い寛容さオカン級の相棒だ。
そして今日も、こいつは俺の本音を気持ち悪がったりはしなかった。猫を優しい手つきで撫でながら、顔を上向けて俺を見上げる。
その目に浮かぶのは、やけに慈愛に満ちた優しい色だ。
で、そんなやけに穏やかな顔で。

「陽介も面倒見てやろうか?」

──そんな、とんでもないことを言いやがった。
なにそれ。本気にしていいの。

「え、マジで」
「いや、冗談だけど」
「えっ」

ちょ、今かなりマジでショックだったんですけど。ぐっさりと胸になにかが突き刺さったような気がしなくもない。
でも、もちろんこいつはそんな俺のガラスのように繊細なハートに気づくはずはなくて、いや気づいてるのかもしれないがあえて無視して、どこか楽しそうに笑った。

「あー、でもよく考えたら、もう面倒見てたよな。特に勉強あたり」
「わー! そーだ、試験勉強!」

そういや、今日は試験勉強しにこいつの家まで来たんだった。猫にやきもち妬くのに忙しくて、忘れてたとか、そんな。
……猫に嫉妬とか、なんかもう情けなくて涙が出そうだ。出さないけど、意地でも。

「にゃー」
「また明日」

立ち上がった相棒が、猫に挨拶している。さんざんかまってもらって満足したのか、猫はくるりときびすを返して身軽に屋根へと登っていった。まあ、幸せそうでいいことだ。
そんな猫の姿を見送りながら、相棒は口を開く。

「でも、正直な話。俺、陽介の面倒見るとか考えたことないな」
「や、でも、実際見てもらってるし……勉強とか。たまに弁当とか」
「んー……なんて言うんだろうな。面倒見るとか、世話になるとかじゃなくて……俺たち、対等だろ?」
「へ」
「相棒、なんだしさ。だから、たまに互いに寄っかかるくらい、普通じゃないかなって」

──まあ、俺はけっこう単純なので。
その一言で、簡単に浮かれて浮上したわけだが。

ただ、俺がこいつに寄っかかっている分、こいつも俺にちゃんと寄っかかってくれているのか、それは正直なところわからない。
こいつからもらったもの全部、いつか返せる日が来るんだろうか。
沈みかけた秋の夕陽に照らされながら、そんなことを思った。